ガーナ旅行PART.22
いやあ、ひさしぶりのガーナ旅行記。
といってもこれで第一章最終回。
次はどの話しにするか迷ってる次第でございます。
第二章:ケープコストとカクムナショナルパーク
第三章:アコソンボでの生活
第四章:首都アクラでの現実
第五章:さよならガーナ、また会おう
第六章:~番外編~デイビット、日本に来て以来初のガーナ帰郷ー旅行記
どれも奇想天外に進んでいく物語です。
おそらく、書いたとおり第二章に行く可能性が大です。
ホテルに戻り、聞きつけて噂をチェックしにフロントへと向かった。
瞳 「本当にジープでアクラの方まで行けるのかい?」
フロント 「ああ、行けるよ」
瞳 「いくらなの?」
フロント 「1,500円(わかりやすくしてます)」
全員 「ええ~、バスと300円くらいしか変わらないじゃん!!!」
ノーマ 「っていうかくる時もバスじゃなくてジープで来た
ほうがよかったんじゃないのか~?」
デビ 「いや、バスがあんなにしんどいなんてだれも想像
できなかったと思うよ(笑)」
ノーマ 「たしかに(笑)。でもまたあのバスに乗って帰る
なんて考えるだけでしんどかったと~。本当によかった。」
瞳 「みんな満場一致だね☆ 明日帰りたいんだけれど、大丈夫かな?」
フロント 「これが番号だよ、たぶん大丈夫だと思うけれど、一応電話してみて」
瞳 「ありがとう」
ノーマ 「これでジープで帰れたらマジで楽と~」
電話
瞳 「みんな大丈夫だ~!! 一台残ってるって!!」
やった~!!о(ж>▽<)y ☆
こんなガッツポーズはいつ以来なのだろう。
でもそれだけ、行きのバスはしんどかった・・・
冷房の爆発的な効き目・・・
ラジオの爆音さ加減・・・
座椅子の硬さ・・・
休憩所のトイレの汚さ・・・
そして地方休憩所の食べ物の衛生状況の悪さ
みんな死んでいたよ(笑)
道の凸凹さ・・・・
機関車トーマスくんみたいにあるところで、峠を越えられないんじゃないかってくらい、
バスがゆっくりになったしなあ。
時速12キロで越える峠っていったい(笑)
と思ったよなあ。
あげたらキリがない
想像を絶する。
この三日間疲れきってしまって正直もぬけの殻の3人。
ジープがなければ可能であれば、危険を承知の上で国境を越えて
ブルキナファソかトーゴから飛行機で帰りたいくらいの気持ちだった(笑)
そして翌日ジープが待つ場所へ。
バスのように裏切られるのだろうか・・・
朝5時にはそこにいた。
他にも20人くらい人がいた。
少しずつ日が明けてゆく・・・
僕らそこに半信半疑で1時間ほど待っていた。
そのうちそれらしい車がきた。
でも確かめるまで本当にわからないのがここ・・・
僕らの車だった。
そして政府が仕切ってるだけあって珍しくとっても
快適どころかめっちゃきれい(笑)
3人に久しぶりの笑みが。
このとき初めて僕らは、お母さんが待っている
アコソンボまで帰る道のりをイメージできたんだと思う。
僕らはボルガタンガを出発した。
しばらく、みんな無言だった。
非常に快適でスピードが爆発的に速いのが気になるくらいだった。
すると、隣りのおばちゃまが・・
「どうやっていつも飛ばしてるから事故が多いのよジープって・・・
バスの方がよっぽど安全だわ・・・」
100%はないんだな。
確かにおかしいくらい速かったし、さすがに疲れきっていた
ノーマと瞳も気になるはじめた。
もうどうにでもなれ!!!(T▽T;)
そのとき、おばちゃまが
「あんたたちね!!!安全運転しなさいよ!! 人の命乗せてるのよ!!!」
これで一安心。
アクラには行きのバスよりも2時間30分くらい早く付いた。
お母さんが迎えに来てくれてた。
辛い後に触れる優しさは非常に温かい。
行きの時は母を押しのけて旅に出かけた。
母も行ったことのない遥か北の大地に子供を連れて行くことを必要以上に嫌がったからである。
ボルガタンガについてからノーマと瞳は僕にお母さんの気持ちを伝えてもらった。
みんなが寝た後一人低めの天井で楕円にまわる扇風機を見つめながらお母さんの気持ちを
考えた。
そしてそれをちゃんと伝えてくれる友達にも感謝した。
「いつまでも子ども扱いするな・・・・」
この旅に来るときに母に投げ捨てた言葉・・・
でも今帰ってきた僕を抱きしめてくれている。
家族の時間はほとんど知らないまま育った。
ガーナへの帰郷はある意味止まっている自分の心のどこかの
時間を少しでも今に時間に追いつかせるためだったのかもしれない。
不器用なりに。
ボルガタンガのホテルで扇風機の音が少し静かになったころ
思ったことがあった。
僕はまだ大人になってなんていなかった。
母にそんな言葉を吐き捨てる時点で僕は、
人の気持ちもまだわからない子供だった。
子供と大人の違いは何か?
数十回も聞かれたことがある。
いつも思うことは、僕の答えが毎回違うこと。
でもそれって当たり前なんだね。
人が大人になるためにその時その時立ち向かってる壁はいつも違う。
大人も子供も本当はない。
僕らはずっとままならないまま理想の自分を追い続けている。
例え親をいつか失っても、僕らの心の中に親の存在が生き続ける。
拒もうと受け入れようと生き続ける。
だからいつまでも子供なんだろうなあ。
自分より知らないことが多い他の子供に優しさや厳しさ、
彼らが知らない僕が知ってる事を教えながら、僕も再確認していくんだろうなあ。
そう、僕はずっと子供のまま大人と言う責任を背負う歳になったに過ぎない。
中学3年生が中学1年生に教えるように、教えながら多くの責任を自覚し、
かつてはその責任を背負ってた先人を尊敬しながら先輩としてもプライドを・・・
父としての誇りを・・・、一人の人としての重みを感じて背負っていくのかもしれない。
おばあちゃんの前では母も子供に見える。
50歳の人が子供に見えるときもある。
ままならないまま、僕らはどれだけ大切なことを伝えていけるんだろう。
母はいつも堂々としていて強く見える。
そして誰からも愛されている
そんな母は大人だと思う。
そうかあ、大人は周りの人が決めるんだね。
今日人生で初めて母を尊敬の目で見つめる自分がいた。
泣いて間もなくしてすぐに笑った母は僕にエルボーをかまし、何発も殴ってきた。
そして一言、「ガールフレンドはつくってきたの?」
泣いててもユーモアはかげりを見せない(笑)
確かにステキな人だ。
一応人の良さを感じれる年頃にはなったようだ。
ボルガタンガは僕を少し背の高い男にしてくれたみたいだ。
出会ったすべての人に、ともに時間を過ごしたすべての人に感謝。
おわり・・・・