昨年末に初めて石巻で羊毛チクチクのワークショップをしてから、二回目の訪問です。
(写真選びや文章考え過ぎて一週間たってしまいましたが・・・)
行きは高速バスで早朝に石巻に着いたので、タクシーに分乗して被災エリアを回って来ました。私とみゆきさんは前回も見ましたが、今回初参加のKファミリーは自分の目できちんと見ておきたいと旦那さまと5才boyも一緒です。
川沿いの遊歩道だったところ。
地盤が下がってしまって一年経っても浸水したままです。
遠くにまだ再開の予定が立っていない石ノ森章太郎美術館が。
ざっくりとした印象は沿岸部は3ヶ月前とあまり変わってないなという感じでした。壊した住宅が増えているのでさらに広く閑散としています。
それでもまだ一階部分が壊れたままの住宅や車が突っ込んだままのビルなども手付かずで残っていたり。
瓦礫や廃車の山も量が減った様子は見受けられませんでした。
テレビで見たことがあるかもしれませんが、クジラの大和煮缶を模したタンク状の看板。
へしゃげたままで、残っていて
後ろに見えるのが瓦礫の山です。
ずーっと帯状に続いています。
瓦礫がなくなったとしても住宅や学校をまた同じ場所に建てるわけにはいかないでしょうね。
高台の土地が現実的でない地価の高騰をしていたり、今新築を頼んだとしても着工は二年後だそう。
まだまだ仮設住宅生活が続くのですね。
運転手さんご自身も津波に合いながら生き延びた体験を話してくださいました。
当日、朝まで勤務で明けの非番だった運転手さんは、車で五分のところに買い物へ。そこで地震にあって自宅に奥さんと年老いたお母さんがいたので車で戻ろうとしたが、皆がパニックで渋滞に。
15分かけて戻った直後に海からうねりのような音が聞こえて、もう逃げる間が無いと二階に移動。
沿岸部には船や工場がたくさんあったので油を含んだ真っ黒な海水が、ほどなく二階にも押し寄せ腰まで浸かってしまった。
窓から近所の家が流されるのが見え、自分達ももうだめかもと思ったそう。
2~3度波が引いては押し寄せ、収まったときには家こそ流れなかったもののヘドロのような海水で真っ黒。自分達もびしょ濡れで凍えながらも朝が来たら救助が来ると励まし合いながら一夜を明かし、翌日レスキュー隊に救助された。
奥様のご両親は数日後に遺体でみつかり、DNA鑑定で確認したとおっしゃっていました。
お家は残ってはいたけれど、油でベトベトでもう使えないと、最近解体し今も仮設暮らしが続いています。
仮設の狭く不自由な生活で好きなコーヒーを淹れるコーヒーマシンを置くことさえためらわれ、好きな釣りも楽しくできずにしなくなってしまった。
自分が生きている意味を考えてしまい、落ち込むこともあるけれどこうやって伝えることに使命を感じていると辛い経験を淡々とはなしてくださいました。
今回車で走った街や海岸は、地震前はきっと穏やかな東北の温かい気質溢れたのどかなところだっただろうことがうかがえます。
住宅がたくさんあった場所になーんにも無くなってしまうという残酷な現実。
無くなってしまう…と言うその後ろ側に膨大な思い出や財産・仕事、大切な家族や仲間が詰まっています。
「被災地観光」などというコースを案内するなんて想像されていなかっただろう皆さんの絶望と悲しみはまだとても癒えているとは思えません。
でも、前回同様東北の強さ、底力をやっぱり感じました。
私たちのやってることはほんの一助だろうと思います。
でも応援したい。
そして同じ思いの仲間がどんどん増えています。
頑張りますよ~!!
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