乳がん検診のマンモグラフィをやって来た。

胸の超音波は11月に終わっていて異常なし。

技師さんがいる日の予約は2ヶ月後だったあせる

郊外のこのクリニックは

優しい女医さん👩🏻‍⚕️が婦人科を開いていて

乳房の超音波も

先生が👩🏻‍⚕️直接画像を見せてくれながら説明してくれるし

マンモグラフィも

女性のレントゲン技師さんが優しく撮影してくれて

(オッパイを潰しながら写真を撮るのはほんとに痛い😩汗)

その後は5分待たずに呼ばれて

その画像を見ながら先生👩🏻‍⚕️が説明してくれる。

別日にならないのがほんとに助かる🥹


1年前の画像と見比べて

石灰化してる箇所や乳腺の変化など

去年から大きくなっていなければ

再検査などはしなくても大丈夫と言ってくれる。

ちゃんと画像で説明してくれるので

とても信頼している。


乳がんと診断されて

放射線を25回だけやった後

5年経ったので大学病院を卒業して

地域のクリニックに逆紹介でお世話になってから

もう8年経つんだ…

また1年無事に通過したよ…

娘たちにも報告しよう。

そう思った。


いつの頃から

親が子どもを頼りにするようになるのか…


いつからか

わたしも娘を頼りにしていたし

いてくれることに安心していた。



そうだった…

わたしが乳がんの組織検査した時も

娘2人が付いて来てくれたんだ。

処置室前の暗い待合室で

まだ学生だった2人が待っていてくれた。

(運転はわたしがした😅…痛かった😵‍💫)



肺気胸になって手術して入院した。

退院の日…

滅多に運転しない長女が次女と2人で迎えに来てくれた。

今か今かと待っていたわたしが病室の窓から見ていたら

大雨の中…

カーブをギリギリに曲がる長女の

危なっかしい運転にハラハラしながらも

嬉しさと申し訳なさで胸がいっぱいになったっけ…🥲


父の生前…

何度か救急車で運ばれた時も

車で2時間近くの実家までの道のりも

いつも娘2人が付いて来てくれた…

2人がいることで落ち着いて運転できた。



急性胃腸炎で何度も吐いて下痢も続き

高熱も出て…

最後は不安で過呼吸まで起こした時も

救急車を呼んで一緒に乗り込んでくれたのも

娘2人だった。

次女は救急車の中でわたしの手を握っていてくれた。

娘たちがいて良かった…



もしかしたら

そんな母親の状態を見て

娘たちもとても不安だったのかもしれない…😔汗


夫はいつもいつも仕事だった。

他のおうちではお父さんがお母さんに付き添うのかなぁ…

お父さんがいれば頼れたのにね…

安心できたのにね…

そこにいてくれるだけで良かったのにね…

側にいるだけで良かったのに…

見てくれてるだけで良かったのに…

そんな家族の気持ちに気づかず

仕事しかしてこなかった父親は

今大人になった娘たちとは交流がない。

あたりまえだ…




わたしが病気になったら

また娘たちに面倒をかけてしまう。

そうならないように元気でいなくちゃ。

そして

面倒をかけないように

ピンピンコロリで逝きたいなぁ…😇🕯️