「普通」ってなんでしょうか?

 
 世間一般に発達障害の認識が広く浸透してからというもの、「普通」という言葉に疑問を投げかける議論がとても多くなされています。「そもそも普通って何?普通じゃないとダメなのか?」という意見が多く見られ、「皆違って皆いい、普通じゃなくていい、多様性を認めましょう」という声が広がっています。
 
 しかし私はこの流れに危機感を覚えます。
 
 「普通」とは広く通用することです。そして「多様性」とは性質の違うものや人の存在する状態ですが、「なんでもアリ」とは全く違います
 
 人間の身体においての普通とは、健全な生体を維持するのに必要な機能が働いていることです。
 
 例えば神経系と内分泌系(ホルモン)、免疫系が協力して働き、健康を維持することができる。
 
 脳であれば外界の情報を感覚刺激(視覚、聴覚など)として受け取り、それを処理することで認知し、外界に対してどのような表現・行動を起こすのかを計算し実行することです。
 
 元々人の身体に備わっている機能が過不足なく正しく働いている普通の状態を「生理的」と言い、これから外れた普通でない状態を「病理的」と言います。
 
 私たちは言語を使ってコミュニケーションを行います。普通と普通でない、正常と異常、生理と病理、それぞれの言葉にある程度の意味を設定しているからこそ言語での意思疎通が成り立ちます。そこに「普通ってなに?」という議論で普通の意味を崩壊させてしまうと、言語そのものが意味を成さなくなってしまいかねません
 そこで引っかかってしまうと、いつまで経っても一番重要な本題に入っていくことができないのです。
 
 定型発達と発達障害では脳波や脳の血流を計測するfMRIなどでは明らかな違いが見られます。感覚の検査でも発達障害のお子さんでは感覚を正しく受け取れていないことや、脳内で正しく処理できていないことが多くの研究により示されています。
 
 最も分かりやすいのは自閉症の子によく見られる眼球運動の問題でしょう。1点をじっと見続けることができず、目はキョロキョロと動き回ります。脳内で眼球の運動や衝動性をコントロールできていないのです。
 
 ですから、神経機能が低下している状態をも「障害じゃない、異常じゃない、個性です、普通です」と解釈するのは難しいのです。
 
 もちろん「普通」に対する意味を社会に問うことが全くの無意味ということではありません。
 障害に対する偏見とそれによる被害、社会の受け入れ態勢の遅れなどの問題に対してはもっと議論して整えていくべきでしょう。
 
 
 
 

「普通」を望んではいけないのか?

 
 「特別なんて望まない、ただ普通であればそれだけで十分なのに、それすらも許されないのか?」
 
 発達障害のお子さんをお持ちの親御さんなら誰しも1度は思ったことでしょう。そしてほとんどの親御さんが以下のいずれかの言葉をかけられています。
 
 ・障害ではありません。
 ・この子の個性です。
 ・周りの子より少しばかり個性が強いだけです。
 ・皆違って当たり前、普通である必要はないんです。
 ・ありのままの姿を受け入れてあげてください。
 ・この子の生きやすい環境を整えてあげましょう。
 
 やはりこの言葉の根底には「発達障害は治らないもの」という前提が見え隠れしているように思います。
 
 私も今まで沢山の親御さんにお話しをさせていただきましたが、多くの親御さんはお腹に子供ができたとき、お腹の赤ちゃんの人生に想いを馳せています。
 
 願わくば当たり前に誰もが望むような普通の健康で幸せな人生であってほしい、そんなに特別なことは望まない、とおっしゃいます。
 
 子供が生まれたら、この子はどんな人生を歩むだろう?お友達いっぱい作って元気に遊んで欲しいな。
 
 なにか熱中できるものがあれば習い事もさせてあげたいな。男の子だったらやっぱりスポーツ系かな。女の子だったら一緒におしゃれして楽しくおでかけしたいな。
 
 学校の勉強は大丈夫だろうか?私が勉強苦手だったから似ちゃうかな?いつか好きな子ができるのかな?失恋しちゃったらどうしよう?時には辛い時もあるだろうけど、がんばれ負けるなって応援してあげよう。
 
 反抗期ってやっぱりきちゃうのかな?いつか自立して家を出るのかな?しっかり自立できるように育ててあげないと。社会の荒波に揉まれても負けない強い子にしてあげないとな。
 
 いつか素敵な子と恋をして結婚するんだろうか?幸せな家庭を築いてほしいな。お孫ちゃんの顔を見せてくれるのかな?いつも良いことばかりじゃないけど、大変な時もあるだろうけど、身体に気をつけて生きていってほしいな。
 
 我が子が発達障害と診断され「個性として受け入れて」と言われたとき、ショックで想いを馳せていた時のことがフラッシュバックし、毎日のように泣き崩れていたという親御さんがほとんどです。
 
「普通」を望んではいけないのか?
 
 私はこの問いに明確にNOとお答えします。
 親とて人の子、人間です。生きています。感情があります。泣き笑い、喜び、怒り悲しみ、楽しいこと辛いこと、成功や失敗、恋も失恋も経験し、負けずに乗り越えて行く、誰もが思い描く我が子の普通で幸せな人生を願うのは当たり前のことなのです。
 
 どうか普通を望むことを諦めないでください
 
 私たちは決して1人で生きているわけではなく、社会を形成して生きています。そこには自然とルール、共通認識といったものができあがり、それがその社会における「普通」となります。それは人間だけでなく、群れという社会を形成する野生の動物にも当てはまります。
 
 ですから「普通」を望むことは当たり前かつ必要なことなのです。
 そこに普通の意味を問うてしまうと、多様性と勘違いされた「なんでもアリ」になり社会が崩壊しかねません。
 
 確かに「発達障害」や「普通」という言葉の意味を問い、その意味と社会の認識を変えて行くもの1つの手ではあります。
 
 しかし道はもう1つあります。お子さんが改善することです。改善すればそれはもう「発達障害」でもなければ「普通」なのです
 
 今までは治らないと言われ、薬でコントロールするくらいしか改善の手立てがないと言われてきました。ですから言葉の意味を社会に投げかけることで出口を探そうとする人が多いのではないでしょうか。
 
 
 

今、発達障害の子供に必要なもの

 親御さんに「お子さんの発達障害を改善したいですか?」と質問すると「できるものならしたいよ。でも治らないって言われてるから…」とお決まりの言葉が返ってきます。
 
 それもそうでしょう。今でも多くの親御さんは「発達障害は脳の機能障害、生まれ持ったものであって治らない。誰が悪いわけでもない、この子が生きやすい生き方を支援していきましょう。」と教え込まれ、信じ込まされています
 
 しかしそれも一昔前までの話です。発達障害研究の最先端を行く米国において、今では発達障害を持つ多くのお子さんが機能神経学プログラムによって改善しているのです。
 
 これから先何十年とあるお子さんの未来がどうなるかは、親御さんにかかっています。そしてそれはブーメランのように親御さん自身にも返ってきます。
 
 お子さんの発達障害がこの先も改善されなければ、お子さんも本来の能力を発揮できずに生き辛さを抱えたまま生きて行くことにもなり、親御さんもなかなか手が離せず自分の人生を生きるどころではありません。
 
 しかし発達障害が改善されれば、お子さんは本来の能力を取り戻し自分の人生をしっかり歩んで行くことでしょう。そしてそれは親御さんであるあなたにも、自分の人生を生きるゆとりをもたらす結果となるのです。
 
 発達障害のお子さんに必要なもの、それはお子さんの発達障害を改善させるという他でもない親御さんの「決断」なのです。
 
 
 
 

脳科学、機能神経学による発達障害改善プログラム


名古屋市を中心に活動中。
発達障害をもつお子さんのご家庭に訪問し、お子さんの脳の働きをチェックすることで、1人1人の状態に合わせた発達障害改善プログラムを提供しています。 
更に知りたい方はプロフィールをご覧ください。
 
対象:愛知、岐阜、三重の一部地域
(遠方の方もオンラインで対応できる場合あり)
 
多忙のため、現在新規の方は月4名様までに制限しております。
 
オンライン無料相談も実施しております。
ご相談、お問合せは下記メールまでお気軽にどうぞ。
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