昔の思い出(8) | 悠々、のんびり

悠々、のんびり

日々の出来事を気の向くままに綴ります

会社員は辞めたが、社会人としての後半戦

仕事はベンダーと金融機関とをつなぐコンサルだ。

ベンダーには金融機関の業務を伝え、金融機関にはより良いシステムの提案を行う。

この仕事も私にとって何も新しいことは無く、これまでの延長だった。



そのベンダーでは、正社員契約ではなかったが、フルタイムで8年間働いた。

かなり自由に働けた。

提案内容も自分で考える。

新しい事を考えるのも楽しい。

時間もかなり自由だ。



最初の頃は、(約1年半)ホテルに泊まった。

毎週月曜日1便の飛行機で羽田へ。

会社へ直行し、金曜日の朝ホテルを出るまで、ホテルに宿泊だ。

そして金曜日の最終便で帰る。

この生活が1年以上続くとさすがに疲れてきた。



そこでマンスリーマンションに住むことに。

マンションは飽きる。

1年くらいいると変わりたくなった。

東京には10年余りいたが、多分8回か9回マンションを変えた。

相変わらず毎週家には帰った。

マイルのたまり方も大きい。

買い物もすべてマイルに換えたので、海外旅行は飛行機代がかからなかった。

海外旅行はヨーロッパを中心に何度も出かけた。

しかも女房と二人、ビジネスクラスだ。

非常に順風な時代だった。

ところが、いいことばかりではない。

とんでもないことに。



リーマンショックだ!

システム業界も大きなダメージがあった。

知人からの依頼があった。

ある会社を助けてほしい。

とりあえず、その会社へ行った。

状況は悲惨。

創業社長が亡くなり、残った者では経営どころではない。

社員だけでも助けようと、身売りの話まであった。

財務は滅茶苦茶。

仕事は激減。

放漫経営。

問題社員も多い。

とにかく借入過多で資金繰りに苦労するありさまだった。

不良資産の整理や借入の統合、いろんな手を打って何とかまともになってきた。

半年位アドバイスをしていたのだが、社長を引き受けてくれという。

契約している会社でそのまま続けていればよかったのだが。

社長引受はリスクが大きい。

頼まれたら断れないか。(また悪いクセが出た)

東京にはあと5年位いるか、と考え引き受けることにした。

私は人が良すぎるようだ。

大きなリスクを抱えた。

ところが、その社長も結局9か月で終了した。

私がとんでもない病気になったのだ。

以前からの病気ではなく、ある日突然、立てなくなった。

即、入院。

立てない、歩けないどころではなく、体中が痛くて我慢できない。

病院で検査をしても原因が分からない。

1週間以上ベッドの上で苦しんでいた。

首も動かせないくらい痛く眠れない。

そしてわかった!

10万人に2.4人しかかからないと言う。

脊椎の炎症が原因だ。

ただ、手術もできない。

点滴で少しずつ改善を待つ。

医師は期間は分からないと言う。

実際は、約3か月かかった。

社長は辞めた。

平成元年にもって20年と言われた20年が経過した。

まだまだ働けたが、まあオーナーとも合わなかったし、会社を救ったと言う事で満足しよう。

その時、私のやったことを理解し評価してくれたたのは、メガバンクの人だった。

「ようやく大丈夫になったようです。」「あなたのおかげです。」



一応、その後も仕事はやろうとしたのだが、長期の仕事を望んでいたのでなかなかいい仕事は無かった。

単発の仕事はあるにはあったが、1年後東京を去ることにした。