小学校3年の算数の問題「9割る0は?」の答えが「0」と書いたら〇(まる)がついていた。
これに対して「0で割ってはいけません」とか「0では割れません」というのは、その子に対する説明としてどうなのだろうと気になった。
N/0 とはなにか?
これを説明するのは意外に難しい。
電卓で1割る0=と入力すると「0では割れません」という答えが返る。
ではこの事実をその子にできるだけ優しく説明するならどう説明したらよいのだろうか?
もっと良い方法で説明できるのかもしれないが、
10/2 を求めるには、◆X2=10となる◆を求めると5になり、これが10/2の答えだ。
(割り算は掛け算の逆算である)
つまり、N/Mの答えは◆XM=Nとなる◆が答えだ。
では10/0はどうなるのだろう?
◆X0=10を求めなければならないのだが、残念ながらこのような◆は存在しない。
したがって、この問題の答えは「問題自体が無意味」となる。
答えは0でもないし、10でもないし、無限大でもない。無意味なのだ。
「不能」とか「不定」ということとは違うのだろうか?
やはり「不能」や「不定」とは違い、あくまでも「無意味」なのだ。
相当以前の話だが、中学校の数学の先生が私に聞きに来たことがある。「この問題がどうしても解けない。どうしたらいい?」それは中学生の問題ではなかったが、学校の先生仲間の間で、どうしたら解けるのかということになったらしい。
私は少し考えたらわかった。
その問題はある意味失題で、答えが無い、いわゆる「不能」問題なのだった。
私は「不定」とか「不能」と聞くと、さも自分が、<住所不定>であったり<再起不能>という事をつい考えてしまう。
私は、住所不定ということは心当たりがあり、住む場所を転々としていたことがあった。これはまあよいとして、再起不能は御免こうむりたい。