数ヶ月ぶりに座禅会に行きました。

そこで、和尚さんからありがたいお話を聞きました。

道元という仏教のお坊さんが書いた正法眼蔵の中の一説だそうです。
(元が漢文なので以下は自分なりに理解した話の内容です。)


「お坊さんがみんなに言いました。わずかでも良い悪いの判断があれば、心を失う、と。

 そこで、ある別のお坊さんが、侍者(付き人みたいに師匠の世話をする人。修行僧)に、今の話を聞いて何か思うことはないか、と問うたところ、侍者は何も答えなかった。

 お坊さんは修行僧を一喝して帰って行った。

 修行僧は分けが分からず、師匠のお坊さんに質問してみました。

 さっきの一喝したお坊さんは話の内容が分かっていたのでしょうか?と。

 そこで、師匠のお坊さんが答えました。

 座って話を聞いている者は、立って話をする者を見ている。

 そして、立って話をする者は、座って聞いている者を見ている、と。」



これだけだと何のことだか分からないのですが、修行僧がお坊さんの世話をする時に、良い悪いの判断(自我が入っている)をしていては本当に良い仕事はできない。

修行僧はお坊さんのことを見ているが、お坊さんは修行僧が無心で仕事をしているかを見ている。

というような、大体の理解ではそんな感じだったと思います。

ということで、別のお坊さんが修行僧を一喝したのは、修行僧の仕事ぶりを見て自我が入っていることを見抜き、問うても何も答えないところから、師匠のお坊さんの話も理解できていない修行僧を一喝したのだろう、ということだそうです。


自分、仕事中に常に自我の塊みたいに、これは正しい、これは悪いとか勝手な判断をして、全然無心で働いてません。このお話を聞いて、何か見透かされたようで、一本取られたみたいな気持ちになりました。

つくづく反省。ただ反省。。