上橋菜穂子さんの「鹿の王」の感想も少しは兼ねてますが、フランスの銃撃戦のニュースを見て、ちょっと「鹿の王」の事を思い出しました。

「鹿の王」って、物語の中では自分の身を犠牲にして他者を守る鹿の事を尊崇して言うんですが、主人公の父親がこんな事を言います。

以下引用

そういう鹿の事を、呑気に、<鹿の王>だのなんだのと持ち上げて話すのを聞くたびに、おれは反吐が出そうになるのだ、・・・省略・・・そういうやつを、群れをたすける王だのなんだのと持ち上げる気持ちの裏にあるものが、おれは大嫌いなのだ

太字は私がつけました。

自爆テロも、テロ集団の中では自らの命を犠牲にしてやってるので、つまり殉教精神かと思うんです。

今回のテロを肯定するつもりは全くありませんが、あの実行犯は、テロをする時点では自分の身はどうなっても良いという気持ちだったんじゃないでしょうか?

そこでさっきの「鹿の王」の引用部分なんですが、

群れを助ける王だのなんだのと持ち上げる気持ちの裏にあるもの

つまり自己犠牲を美化して、それを偉いと言っちゃう人たち、裏で糸を引いてるやつがいるってことです。

これ、ずぅーっと前から、歴史的に宗教というのは、大量殺戮とかの理由として良いように使われてきたわけです。
あの原爆を落としたエノラ・ゲイにもカトリックの神父が同乗して祈っていたという話があるそうですし、こういうことが繰り返されないためには、その裏にいて、絶対に姿を見せない人たちこそ捕まえるべきかと思います。

実行犯だけ捕まえてもトカゲの尻尾切りにしかなりませんし、また悲劇が繰り返されるでしょう。