考える葦 | チャクラジベリッシュとハート瞑想

チャクラジベリッシュとハート瞑想

毎週木曜日の夜に兵庫県西宮市の防音室で、チャクラジベリッシュ瞑想とハート瞑想をしています。

「人は考える葦であると言った人がいるが、考え過多に耐えられない葦なのだ。可憐な葦をいたわれ」と山田無文老師は言ったという。
チャクラジベリッシュ瞑想は、雑多な考えの生えてる草ボーボーの庭の草抜きみたいなもんだ。雑草が抜けてすっきりする。
思考は音でできているから、でたらめな声を出すことで、第五チャクラに記録されている信念のバターンも揺さぶられる。身体をしっかり使って表現すれば、からだのエネルギーパターンも動く。それは、草ボーボーで荒れた庭にある石やガラクタをどける感じ。
雑多な草が生えていたら、人間は考える葦かどうかもわかない。
葦がはっきりと見え出したら、その葦を超えていける。人は考える葦以上に大きなものだとわかるようになる。明日もあります。
9月8日(木)19時から21時 1500 ハート瞑想とチャクラジベリッシュ瞑想(西宮・夙川) 今回は各チャクラの思い込みを特定して、それからジベリッシュをします。自由を制限する信念の構造という、個人的かつ集合的な遺伝情報を発見するための、簡単な方法を紹介します。場所は参加連絡いただけば、メッセージします。 http://mysticunion.wixsite.com/deva
画像は瞑想会の様子ではありません。
「人は考える葦である」と言ったパスカルという人は、病弱でなかなか過酷な運命に翻弄されたひとみたいです。そんななかで、風に負けない(でも折れやす い)葦に例えたところに、抵抗せずに受け入れるタイプのひとだったという記述もあります。最後は修道院に入ることも考えて、著作も完成せず思索にくれたと いう人生は、なかなか共感するところですが、原文の「人間は ひとくさの 葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。 だが、それは考える葦である。(中略)たとえ宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分 に対する優勢を知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある」という一節は、本当だろうかと 思ってしまう。う~ん。まんだむ。
パスカル伝 http://englishmaxims.seesaa.net/article/438505596.html