1995年4月17日 朝日新聞 夕刊
当時 もんたが出演していた 関西テレビ「ワンダラー」
以下記事より抜粋
レギュラー出演者で歌手のもんたよしのりさんも「これま
もんたがやってた番組
別の日の放送の 「ワンダラー」
http://youtu.be/
以下 記事の文章
十二日深夜に放送された関西テレビの報道番組「ワンダラー」=写真=で、震災時の電波メディアの在り方が関西のテレビ・ラジオ局の報道担当者やキャスターらによって話し合われた。媒体や局の壁を超えて討論する型破りな構成について、制作サイドは「大阪のノリ」ですと説明したが、テーマは「だれに向けて放送していたか」「メディアは防災機関か報道機関か」などと重い内容。次から次へと話が移り、一人の発言時間は限られた。「地震発生直後、情報が極端に不足していたので、民家がつぶれているというイメージがわかなかった。それが悔やまれる。」(読売テレビ・辛坊治郎キャスター)など、各人が感じた悩みも披露されたが、番組は消化不良のまま終わった感が強い。もともとわずか一時間足らずで結論が出るテーマではない。番組終了後、同テレビの大場英幸プロデューサーは「あと、最低三十分欲しかった。すべて制作サイドの責任」と出演者に頭を下げた。だが、「こうして集まったということに意義があるのでは」と出演者の多くは納得していた。フリージャーナリストで司会役の今井一さんは「また、集まって何度でも話し合ったらええやん」とサバサバした表情。レギュラー出演者で歌手のもんたよしのりさんも「これまでの災害報道に不満があったが、皆さんがこんだけ悩んで放送していたことが、初めて分かった」と率直な感想を述べていた。震災後、ラジオ局間では、東西で協力態勢について模索し始めている。具体的な協力については先は見えず、前途多難だが、ラジオに関しては、ともあれ横断的な組織ができて、話し合いのテーブルに着く所まできた。これに対して、テレビ局間の動きは今のところはっきりとは見えてこない。視聴率をめぐり各局間の競争が激しいことや、情報態勢の規模もラジオと比べものにならないほどに大きいことなど、協力への制約が多いせいだろう。コメンテーターとして出演した民放防災シンクタンク「まちづくり計画研究所」の渡辺実所長は番組の最後に、「災害報道によって、人に命を救えるということを考えて放送に当たってほしい」と発言した。十七日で震災から三ヶ月。メディア全体が、震災報道を通して経験した悩みや知恵を共有し、よりよい形での協力を模索できれば、と思う(純)
