ときどき なんかの はずみで リンクが いうことを きかなくなるので ここに 転記。


ぱるば  なんか ややこしいこと なんやったら 削除するから いつでも いうて。 (笑)


愛してるよ 。  ぱるば だーりん (嬉)。  ねぇ~ 。



VIGYAN BHAIRAV TANTRA
 

 ―ヴィギャン・バイラーヴ・タントラ―
 

73.     In summer when you see the entire sky endlessly clear, enter such clarity. 

73 雲のない空のように晴れ渡る

第一の技法

夏  空全体が果てしなく晴れ渡るとき   その 晴 れ 渡 り の中に入る

マインドとは混乱だ

晴れ渡っていない

マインドはつねに混雑している

つねに曇っている

けっして

雲ひとつない空っぽの大空ではない


マインドにとってそれは不可能だ

マインドを晴れ渡らせるのは不可能だ

マインドにとってそれはもともと無理なことだ

マインドはいつまでも曇ったままだ

もし

あなたがマインドを去ったら

もしあなたが突然

マインドを超越し

マインドの外に出たら

きっとそこに 晴 れ 渡 り が起こるだろう


あなたが晴れ渡るのは可能だ

しかしマインドはだめだ

晴れ渡ったマインドというものはない

いままでけっしてなかったし

これからもけっしてない

マインドというのは

曇りということだ

混乱だ


マインドの構造を理解すれば

この技法がはっきり理解できるだろう


マインドとは何か

それは思考の移り行きだ

いろんな思考の連続体だ――

関連するものしないもの

意味のあるものないもの――

あらゆるところから集まってきた多次元的な 印 象 の 集 積 だ


生全体はひとつの集合だ

塵の集合だ

それが連綿と続く


子供が生まれる

子供は晴れ渡っている

それはマインドがないからだ

マインドが出現するやいなや

曇りが混乱が現れる


子供は 晴 れ 渡 り だ

でも彼はいずれ集めることになる――

知識や情報や文化や宗教や条件つ゛けを

それは必須であり役立つものだ

彼はあらゆるところからそれを集める

その情報の出所は

ときに互いに対立し矛盾している

何千何万という情報源からやってくる


かくしてマインドは騒々しい市場のようになる

情報源があまりに多いと混乱は避けられない

何を集めて来ようとも確実なものは何もない

なぜなら知識はつねに成長するからだ


ある人からこんな話を聴いたことがある

彼は偉大な探求者だった

彼はかつてある教授のもとに医学生として五年間すごした

その教授は自分の専門分野で偉大な学者だった

ところが最後の授業で学生達を集めこう言った

「最後にひとつ 断っておくことがある

私は今までいろいろ教えてきたが

その中で『正しい』と言えるものは

わずかに五十パーセントだ

残りの五十パーセントは完全に間違っている

そして厄介なことに

どの五十パーセントが正しくて

どの五十パーセントが間違っているか

私にはわからない」


知識の大伽藍ダイガランとはこんなものだ

何も確かではない

誰も知らない

誰もが手探りだ

手探りしながら

私たちは体系を作り上げる


そしてこの世には
何千何万という体系が存在する

ヒンドゥー教はかく語り

キリスト教は別のことを語り

イスラム教はまた別のことを言う――

すべては矛盾している

すべては互いに矛盾している

そこに一致はなく

何物も確実でない



こうしたすべてが人々の情報源だ

人々はそれを集めそして

マインドはガラクタの山になる

混乱は避けられない

あまり多く物を知らない人だけが確実であり得る

たくさん知れば知るほど不確実になる


昔の人間はもっと確実であり

外見的にはもっと明白(クリア)だった

実際に明白だったわけではなく

たんに相反する諸事実に気つ゛いていなかっただけだ

もし現代人のほうが混乱しているとしたら

それは現代人のほうが多く知っているからだ


知れば知るほど混乱する

知識をたくさん得れば得るほど

人は不確実になる


確実になれるのは愚者だけだ

教条的になれるのは愚者だけだ

愚者はけっして躊躇しない


たくさん知れば知るほど

自分の足元は危うくなり

躊躇するようになる


つまりこういうことだ――

マインドが成長すればするほど

「マインドの本性は混乱だ」とわかるようになる


「確実になれるのは愚者だけだ」といっても

それは別にブッダが愚者だという意味ではない

確かにブッダは不確実ではない

でも

そこには違いがある

ブッダは確実でもなければ不確実でもない


彼はひたすら晴れ渡っている


マインドというのは不確実であり

愚かなマインドは確実だ

でも無心の場合

その両方が消え失せる――確実と不確実が


ブッダは 晴 れ 渡 り そのものであり

開いた空間だ


彼は確実でない……この世に確実なものはない

彼は不確実でない……この世に不確実なものはない


不確実でありうるのは

確実さを探し求める者だけだ


マインドは

つねに不確実であり

つねに確実さを探し求めている……混乱しており

つねに 晴 れ 渡 り を探し求めている


ブッダとはマインドを落とした人間だ

そしてマインドとともに

あらゆる混乱

あらゆる確実

あらゆる不確実

といったすべてが落ちる


こう考えてごらん

意識はちょうど空のようなもので

マインドは雲のようなものだ


雲は空に触れることがない

雲は去来するが何の跡も残さない


空は手つかずのままだ――

何の記録も

何の足跡も

何の記憶も

およそ雲に関わるものは何も残らない

雲は去来するのみで

空は乱されることがない


これは人の内側でも同じだ

意識は乱されることがない

思考は往来する――マインドは展開しては消え去る


また

あなたのマインドは一つだけではない

マインドはいくつもある

まさに群集だ

あなたの様々なマインドは

絶えず変わり続ける


たとえばあなたが共産主義者だったら

あなたには特定の型のマインドがある

でもあなたはまた

それを去り反共産主義者になったりする


かくしてマインドは変わる

たんに変わるなかりでなく正反対になる

そのようにしてあなたは

ちょうど着物のように絶えずマインドを変えていく


必ずしもあなたはそれに気つ゛いていない

こうした雲は去来する


 晴 れ 渡 り が達成されるのは

あなたが空に近つ゛いたとき

その焦点が変化したときだ


空に焦点を合わせていないときあなたは

雲に焦点を合わせている


だから要は

雲に焦点を合わせず

空に焦点を合わせることだ


この技法は言う


夏 空全体が果てしなく晴れ渡っているとき

その 晴 れ 渡 り の中に入る


空に瞑想する――雲ひとつなく

無限にからっぽで晴れ渡った夏空に――

それはまったく手つかずであり

その中では何ひとつ動くものがない


その空に思惟する

その空に瞑想する

その 晴 れ 渡 り の中に入る


そしてその晴れ渡りに な る

その宇宙的な晴れ渡りに な る


雲ひとつない大空に瞑想すれば

突然

マインドが消え去っていくだろう……

マインドが落ちていくだろう


そこには隙間(ギャップ)がある


突然あなたは気つ゛くだろう――それは

まさに晴れ渡った空が自分の中に入ったかのようだ


合間が現れる

少しのあいだ思考は止む

まるで交通が途絶え

動くものが何もなくなったかのように


最初のうち

それは瞬間的なものだろう

たとえ瞬間であっても

変容をもたらしてくれる


すこしずつマインドは減少し

もっと大きな隙間が現れる

何分ものあいだ

思考が雲が存在しなくなる


思考が雲が存在しないとき

外側の空と内側とは ひ と つ になる


思考こそが障壁だ……

思考こそが壁を作り出す

思考があるからこそ

外は外となり

内は内となる


思考がなくなれば

外と内の間に境界はなくなり

その二つは ひ と つ になる


実際のところかつて

境界などけっして存在していなかった

境界があるように見えるのは

まさに思考のせい障壁のせいだ


空に瞑想するのは素晴らしい

寝ころんで現実を忘れる

人気のない浜辺とか

どこでもいいから

あおむけに寝ころんで

ただ空を見つめる


空の晴れ渡っているときがいい

雲ひとつなく

果てしなく晴れ渡っているときが……


ただじっと見つめ

その 晴 れ 渡 り を感じる――

その雲のないことを

その限りない広がりを


そしてその晴れ渡りの中に入り

それと ひ と つ になる


まるで自分が空になったかのように

宇宙になったかのように


最初のうち

もし大空だけに瞑想し

ほかに何もしなければ

隙間が現れ始める


つまりこうだ

もしあなたが何かを見れば

その見る物すべては

あなたの中に入って来る


あなたの見る物すべては

あなたの内側をかきまわす

あなたの見る物すべては画像となり反映される


たとえば建物がそこにある

あなたはそれを見る

でもただ見るだけでは終わらない――

何かがたちまち内側に起こり始める

あるいは

男なり女なり車なりを見る

何を見たとしても

それはたんに外にあるものではない


何かが内側で起こっている……

その反映が起こっている

あなたはもうそれに対して反応している


だから見るものすべては

あなたを鋳型にはめ

あなたを作り

あなたを変化させ

あなたを創造する

外側の物はたえず内側の物に関連している


大空を見つめるのはいいことだ

その境界のない広がりは素晴らしい

あなたの境界もまた消え去る

なぜなら

境界のない空が内側に反映されるからだ


まばたきせずに見つめられたら

さらにいい

まばたきしたら

思考作用が続いていく

だからまばたきせずに見つめる


その空虚に見入り

その空虚の中に入り込み

自分がそれと ひ と つ になったと感じる


そうすれば

いつでも空はあなたの中に入る


まずあなたが空の中にはいる

そうすれば空はあなたの中に入る

そこに出会いがある――

内なる空と外なる空との出会いがある


その出会いの中に覚サトりがある

その出会いの中に無心がある

その出会いが起こるのはマインドがないときだけだ

その出会いの中で初めて

あなたはマインドではなくなる


そこに混乱はない

マインドのないところに混乱は存在できない

そこに苦はない

苦もまたマインドなしには存在できない


あなたは今までに

「マインドなしに苦は存在できない」

という事実に気つ゛いたことがあるだろうか


マインドなしには苦悩できない

マインドこそがその源泉だ


いったい

誰がこの苦をあなたにもたらすだろう

誰があなたを苦悩させるだろう


その逆もまた真だ


マインドなしには苦悩できないし

マインドがあったら至福を得ることもない

マインドはけっして至福の源泉とはなりえない


だから内側と外側の空が出会うときマインドは消え去る


たとえそれが一瞬のことであっても

あなたは新たな生に満たされる

その生の質はまったく異なっている

その生は永遠のものであり

死によって汚されていない……

どんな恐怖によっても汚されていない


この出会いの中で

あなたは今ここにいる――

この現在にいる


なぜなら

過去とは思考に属するものであり

未来も又思考に属するからだ


過去と未来はあなたのマインドの一部だ


でも現在とは<存在>だ

マインドの一部ではない


今の瞬間はマインドに属していない


でも過ぎ去った瞬間

これから来る瞬間

はあなたのマインドに属している


今の瞬間はけっしてあなたに属していない


むしろあなたのほうがこの瞬間に属している


あなたはここに存在している――

まさに今ここに存在している


でもマインドは他所ヨソに存在している

いつも他所ヨソにある


重荷をおろすことだ


あるスーフィー(イスラム密教)の神秘家が

こんな逸話を語っている


彼はある淋しい道を旅していた

通る人は誰もいなかった

やがて一人の農夫が牛車に乗ってやって来た

その牛車が泥にはまった

道はデコボコだった

農夫は車一杯のリンゴを運んでいた

ところがデコボコ道のせいで荷台の押さえ板がはずれ

そこからリンゴが転がり出ていた

でも農夫は気つ゛いていなかった


車が泥にはまったとき農夫は最初

どうにかして車を泥から外に出そうとしたが

なかなかうまくいかなかった

そこで彼は考えた「荷を降ろした方が良さそうだ

そうすれば車をひっぱり出せるだろう」

彼は後ろを振り返った

ところがリンゴはいくらも残っていなかった

荷はすでに降ろされていた

何とも悲惨な状況だ


スーフィーの神秘家によれば

憤慨した農夫はこんなふうに言ったそうだ「立往生だ

こんちくしょう!立往生だ!おろす荷物もありゃしない!」

車から荷を降ろすというのが唯一の望みだった

そうすれば車を出すこともできた

でも今では降ろす物さえない!


幸いなことに

あなたはこんなふうに立往生していない

荷はおろせる――あなたの車は荷を積み過ぎている

マインドという荷をおろすのだ


マインドが無くなったとたん

あなたは飛ぶ

あなたは飛べるようになる


この技法――晴れ渡った空を見つめ

それとひとつになるという技法――は

最も盛んに実践されているものの一つだ

いろんな伝統がこの技法を使ってきた


特に現代人にとって

この技法は実に有り難い


というのも

地上には何も残っていないからだ

地上には瞑想するものが何も残っていない


ただ空だけだ


まわりを見まわしてごらん

すべては人工物だ……すべては有限で

区切りがあり境界がある


幸いなことに

ただ空だけが今も瞑想のため残されている


この技法を試してごらん

きっと役に立つ


でも覚えておくことが三つある


一つ

まばたきせずに見つめることだ

たとえ目が痛くなって涙が出てきても

心配することはない

その涙でさえ荷を降ろすことの役に立つ

その涙によって目は

無垢になり新鮮になり洗われる

だからひたすら見つめ続けるのだ


第二点

くれぐれも空について考えない

あなたはいつ空について考え始めるかわからない

例えば色んな詩を思い出したりする――空についての美しい詩を

そうしたら横にそれてしまう

大事なのは

空について考えることではなく

空の中に入ること

空とひとつになることだ


もし空について考え始めたら

再び障壁が現れる

すると空を再び取り逃がし

自分のマインドに閉じ込められてしまう


だから空について考えずに

空になるのだ


ひたすら見つめ

空の中に入り

空を自分の中に入らせる


もしあなたが

空の中に入ったら

空もたちまちあなたの中に入る


どうしたらいいか

どうやって空の中に入るのか


ひたすら見つめること――

どこまでもどこまでも見つめることだ

まるで空の境界を見つけようとするかのように見つめ

深く進む

可能な限りに進む

その進むことが障壁を破る


この技法は少なくとも四十分間実践する必要がある

それ以下ではだめだ

それ以下ではあまり役に立たない


もし自分は ひ と つ になった

と真に感じたら

目を閉じていい

もし空が自分の中に入ったら

目を閉じていい


きっと内側にも

空が見えるようになるだろう

そうしたら目を開けている必要は無い


四十分たって ひ と つ になり

交感が生じ自分が空の一部となり

もはやマインドが無くなったら目を閉じ

内側の空にとどまる


第三点は 晴 れ 渡 り が役に立つ

その 晴 れ 渡 り の中に入る

晴れ渡って汚れない空

雲のない空が役に立つ


自分を取り巻いている晴れ渡りに気つ゛くのだ

それについて考えずひたすら

その晴れ渡りを

その純粋さを

その無垢を

意識する


こうした言葉は

繰り返したり考えたりするものではなく

感じるものだ


空をじっと見つめれば

その感覚はやって来る


そうしたものは想像によって出現するのではない


それは そ こ に あ る 


見つめることによって

それは段々あなたに起こってくる


空は純粋だ

存在するものの中で最も純粋なものだ

何物によっても不純にされることがない


世界は往来する……地球は現れては消え去る

でも空は純粋なままだ

純粋さはそこにある


それを投影する必要はない

ただ感じればいい

それに対し自分を開き

それを感じてみるのだ


そうすれば 晴 れ 渡 り は現れる


空があなたに現れるようにする

それは強制できない

あなたにできるのは

起 こ る に ま か せ る ことだけだ


そもそも瞑想とは 起 こ る に ま か せ る ということだ


決して瞑想のことを攻撃的なものと考えてはいけない

決して強制的なものと考えてはいけない


なにものであれ強制は不可能だ


実際いままでのあなたの苦は

みな強制によって生じたものだ


強制できるものは何もない


ただ物事が起こるのを許すのみだ

要は女性的であることだ

物事が起こるにまかせ受動的になる


空は絶対的に受動的だ

まったく何もせず

ただそこにある


だからひたすら受動的に

空の下にとどまる

無防備で開放的で女性的になる

決して攻撃性は持たない


そうすれば空はあなたを貫く

夏、空全体が果てしなく晴れ渡るとき、その 晴 れ 渡 り の中に入る


でも

もし夏でなかったらどうするか

もし空が雲におおわれ

晴れ渡っていなかったらそのときには

目を閉じて内側の空に入ればいい

目を閉じ

もし思考が見えるようなら

それを空に浮かぶ雲として見る

その背景である空を意識し

思考には関心を払わない


私たちは思考に関心を払い過ぎる


けっして隙間には気つ゛かない


一つの思考が過ぎ去り

次の思考がやって来る前

そこにひとつの隙間がある


その隙間の中に空がある


思考がないとき

いつもそこにあるのは空虚だ


だから空が曇っているとき……夏

でなく空が晴れ渡っていないときには

目を閉じマインドの焦点を

その背景に会わせる

その背景というのは

思考が往来する内的な空だ

思考にはあまり注意を払わずに

その背景にある空間に注意を払う


例えば私たちはこの部屋の中に座っている

私は二通りの仕方でこの部屋を見ることができる


一つはみんなを見ることだ

すると私は空間に無関心になる

空間というのは皆がいる

この空間でありこの部屋だ

私は皆を見る

私のマインドの焦点は

ここにいる皆にあって

皆のいるこの部屋にはない


いっぽう 私はその焦点を変えることができる
つまり 部屋を見て 皆のことは見ない


皆はここにいるが私の注意は

私の焦点はこの部屋にある

すると視点全体が変化する


このことを内面世界でやってみる

空間を見る――思考はその中で動いているが

それには無関心でいる

何の注意も払わない

思考はそこにある

それをマインドにとめておく……

思考はそこにあって動いている


多くの車が通りを走っている

でも車には関心を払わず

ただ通りを見る

誰が通るか見たりしない


ただ何かが通っていくことをマインドにとめ

その背景の空間を意識する


そうすれば夏空は内側に起こる


夏を待つ必要はない

だいたい私たちのマインドというものは

どんな口実でも見つけ出す

マインドはきっと「まだ夏ではない」と言う

また例え夏であったとしても「空は晴れていない」と言う