最近 私が 浮かれている 「嬉しい」 は


Dhyan Yogiさま から 醍醐寺の桜の絵葉書が ついたよ って


メールが きた。  こと で ございます。


うれしい。


彼は 赤面するような 意味のない 耳触りのいい 言葉を 使う。


イチャいちゃ いちゃイチャ らぶらぶ な 大げさな 甘い 言葉。


もちろん 私にだけではなく 世界中の 彼に 恋する 人々に。


とっても トラディショナルな 書式に のっとった 書面の時も  手書きの はがきや ファックスも メールも


各種 リーディングのときも そうで ずっと そうだから   彼の やり方は そうなのだろう。




例外が ただ 一回。


東日本大震災の直後  私の無事を 知らせたメール の 返事だけ。


イチャイチャな甘甘な 言葉は 一切 なかった。


それが どれほどにも 怖く・・・・・・。


本当に  こわかった。


一年 たって  甘甘 いちゃいちゃ らぶらぶ に 戻っていて 安心した。


質問でも 用事の処理依頼でもなく こういう 生存確認の季節の定期連絡に  返事がある。 

それは 私に 口に ださない 悩みが あるとき。

なにも ひとことも 相談しなくても 適切な 正しい 答えを くれる。

今までも そうだったし 多分 これからも そうだろう。

そういう 普通の日常の事が うれしいなぁ と 思う。

 

それにね。 


最近の 私の好きな人は そういうことには  動じない   かかわらない  パワー・ゲームの外に いる人 なので


「定期連絡」は「定期連絡」   「絵葉書」は「絵葉書」   「メール」は「メール」


パワーゲームの 意味は はらまず ただ イチャイチャで らぶらぶなだけ。


すごく 楽。  


本当に 楽で。 じんわり 嬉しく 安心していられる。


沸騰する気持ちも 好きだけれど そういう 気持ちも いいなぁ と 思う。


Love , Shakti