この10月はとことん「死」というものに向き合いました。
それは、親しくさせていただいていた方の旅立ちのプロセスがきっかけでした。
私の考え方として、死は「存在の終わり」を意味しないものだと捉えています。
肉體から魂(エネルギー体)が抜けた状態。
物質世界での人生を卒業する。
こんな感覚で死を認識しています。
人の死に直面したのは初めてではありません。
それなりの年月を生きてきましたので、
お葬式にも何度か参列させていただいたことはあります。
身内のそれも経験はしてきました。
だけど今回の出来事の何が特別だったのか…
年齢がとても近い方で、しかも突然のことでしたので、
ショックが大きかったのかな…。
その方とは短い期間でしたが、仕事でご縁をいただきご一緒して
色んな事がありながら、力を合わせてがんばっていました。
そんな中、私がその仕事を続けられる状況ではなくなり、
9月いっぱいで辞めることになったのですが、
辞める最後の日まで、変わらず二人で仕事をしたんです。
この仕事に、その方とご縁をいただけたことに、
本当にありがたい、本当によかったと
ハグしながら愛と感謝を伝えて、その日を終えました。
辞めてから1週間後のことでした。
その方が仕事を終えて帰宅された後倒れられた、と連絡がありました。
救急車で運ばれて即手術されたそうですが、
その後、容態が急変し再手術。
手術の甲斐なく、脳死状態になられたんだそうです。
それから13日後、天に還っていかれました。
倒れられてから天に還られる期間、私はずっと不思議な感覚でいました。
足元がふわふわするような、現実であって現実でないような
今、自分のいるところが不確かに感じてしまうような、捉えどころのない感覚。
だけど、考えるのは人間の「死」。
死ぬということについて、そればかりを考えていました。
私は「死」というものについて、決してネガティブに捉えていないのにも関わらず、
知らせを聞いて、ショックのあまり言葉を失いました。
そして、感情が大きく激しく揺さぶられました。
日頃から、「人間は100%必ず死ぬんだ」って認識していて、
肉體を脱ぎ捨てた後も、魂は永遠だし存在は失われないと知っていながら。
ただ、現実を受け入れられなかった。
ただ、信じられなかった。
そして、そんな自分も信じられなかった。
だから思い知ったんです。
私は未だ、死ぬ覚悟も生きる覚悟もできていなかったんだなって。
死ぬことの生きることの何たるかも知らなかった。
…というか、浅ーくしか捉えられていなかったし、
そもそもしっかり向き合えてなかったんですね。
そのことに気がついてから、ちょっと落ち着き始めました。
私から湧き上がる思いや感情や考えも全部、丸ごと受け入れました。
判断せずに、否定せずに、批判もせずに。
ただ、受け入れました。
そしたら、「悲しい」とか「なんで?」っていう感情ではなく
その方に対する感謝が湧いてきたんです。
私の中には感謝しかなかったんです。
綺麗事かよ、って自分で思ってしまうほどに。
「ご縁を結んでくれてありがとう」
「濃厚な時間を一緒に過ごしてくれてありがとう」
「優しさや可愛らしさをありがとう」
「いつも大きな器で私を受け入れてくれてありがとう」
「存在してくれてありがとう」
本当にこれだけしかなかった。
しばらくして正気になってから、
私が本当は何を思っているのか、
何を感じているのか、何を望んでいるのかを
自分に問うてみたんです。
私は自分が善人だと思っていないので、
感謝しか湧かない自分をちょっと疑っていたんでしょう。
だから、「自分よ。本当のところはどうなのよ?」って
自分にきいてみたくなったんです。
「その方が思うままに」
その方がいいように思うままにしてもらうことが一番いい。
それが、私が心から望むことだと返ってきました。
奇跡が起きて、意識を取り戻されて、また楽しい時間を共に過ごして…
頭の中は、そういった言葉がぐるぐる回っていました。
「奇跡は当たり前に起きるんだ!」とか、
「まだ、生きているんだから希望はある!」とか、
力いっぱいそう思い込んでいたように思います。
だけどそれは、私の本当の望みではなかった。
本音は、その方がいいようにするのがいい、だったんです。
自分の本音、本当の願いが明確になったら、毎朝の祈り方が変わりました。
あなたが自分にとって大切なことをなすよう願っています。
あなたが決めることなら何でも賛成です。
あなたを無条件で愛しています。
あなたがとどまってくれるなら、こんなに嬉しいことはないでしょう。
でももしあなたがいってしまっても、わたしはやっぱり嬉しいでしょう。
あなたにとって、いちばんいいようにしてください。
これは、もちろん私が考えたのではありません。
エイブラハムの本に載っていた言葉で、
「昏睡状態の人に、あなたができる最善のこと」と
ずいぶん前にノートにメモしていた言葉でした。
なぜ、私がその言葉を残していたのか謎なのですが、
過去の自分に何だか助けられたような気分になったのでした。
エゴからでもコントロールからでもなく、
肉體から離れた高い視点からの、無条件の愛の言葉だなと感じませんか?
この祈りは、手を合わせている私自身がいちばん救われているんじゃないかと思うほどです。
祈りの本質は愛と調和をもたらすものなんだと体感することができました。
もう本当に感謝しかありません。
でも、そうは言っても、
なかなかどうして、ずっと心は葛藤を続けるものなのですね。
どれだけ心から祈っても、次の瞬間揺らぐ。
エゴが、私の古い信念が、暴れ出す。
その度に何度も何度も、自分の真ん中に戻る。
真ん中の深くて静かなところにとどまる。
揺らぐ。戻る。揺らぐ。戻る。を繰り返すうちに、
バランスが取れてくる。
そうしてまた、心をこめて祈ることができるんです。
その方が選んだ結果を聞いた時も、やっぱり私は大きく揺らぎました。
だけど、すぐに戻って受け入れることができた。
「本当におつかれさまでした。」
習慣となった毎朝の祈りは、
今、無事に元の光へとお帰りいただけるように、愛と感謝の思いをこめた祈りに変わりました。
その方のためではありません。
私がそうしたくて勝手にさせていただいているので、完全に自分のためですね。
だけど、少しでも祈りが届いていたらいいなと思ってしまうのです。



