世界の有無ではない。
世界は空(くう)。
ー「スッタニパータ」第5章ー
昨日今日と、表現したいこと伝えたいことがまったく湧きませんでした。
気分転換をしながら、違うことをしながら、書きたくなるのを待ちました。
ひらめきやアイデアがおりてくるのを待ち続けたんです。
でも、どんなに粘っても、出ないものは出ません。
だから、書くのを諦めました。
そして、今日。
今日も何も湧かないという状態。
あれだけ表現したいことがたくさんあったのに、
伝えたいことは本当に山ほどあるのに、言葉がまったく出てきません。
今日も書かないでおこうか、諦めようかと思いました。
そしたら、ふとこんな問いが浮かんできました。
「何も浮かばなかったら、言葉が出てこなかったら、
表現しちゃいけないのか?」
そうなんです。
昨日も今日も私の中は空っぽ。
しぼってもひねっても、本当になんにも出てきません。
こんな状態だから、やめとくしかない、諦めるしかないって当たり前のように思っていました。
だって、何も出てこなければ意味がない。そもそも書けないし。書くことないし。
そうずっと思っていたのに、新しい言葉が私の身體の中で軽やかに響きます。
それならそれでいいじゃあないか。
そのままありのままを書いて表現しても。
これが今の本当の私の姿だから。
今までになかった感覚であり意識です。
表現する喜び。伝えられる楽しさ。
きっかけはシンプルだったはずなのに、何をどうして自分を追い詰めていたのか。
自分の中心からいとも簡単にズレてしまいました。
こんな些細なこと、好きでやっていること、何気ない日常、大して影響も何もないようなところで
こうもあっさりズラしてしまうなんて…
本当に思いもよらないことでした。
ですが人生を振り返ると、こういうことって非常に、たくさん、おそろしく、色々あったよなぁと思います。
自分から追い詰められて、責め立てられて、苦しくなったり辛くなったこと、
それで諦めたりやめてしまったこと、本当にたくさんありました。
表現すること伝えられることが、ある時、ない時と分離していないで、
ただ、そのことを楽しみ、喜べばよかったんですね。
というか、私の意識があるを捉えていたら「ある」し、ないを捉えていたら「ない」わけで。
そもそも、私がどう捉えていようがいまいが、すべてはありなにもない。
この世界は「ある」「ない」の二元を超えているものなんだから。
ある時はある時、ない時はない時で、
そのことを受け入れて、そんなことは超えてしまって
ただ楽しむ。ただ喜ぶ。
この感覚、意識はなんだかワクワクするな。
世界は空(くう)。
なんて豊かな世界。
確かに何も出ない空っぽなのに、不思議と満ちているような感覚もするかな。



