こんばんは、yaccoです。
今日は少し毛色の違うお話です。
星と同じくらい、心の勉強も自分にとっては大切なのですが、心のことをやっていると過去に想いを馳せることが度々あります。そんな日々の中で見えてきたことがあり、今日は昔の自分の作品をシェアさせていただきます。
自分のセンスの根底にはやっぱり星が影響しているよね。というお話です。
迷える美術学校生だった過去の私のエトセトラにお付き合いください。
#付き合わなくても大丈夫です!!笑
時は、30年前、、、
#タイムスリップ感ハンパない
こんなのを描いてました。
もちろん、手書きです、ええ。
美術系の短大で卒業制作に描いた作品です。
テーマは映画雑誌による映画の推進。
#明快やな
作品を学校が撮影して額装してくれたので未だに家に飾っております。ありがとうございます。
実物はB全と呼ばれる電車で運ぶの超迷惑な765×1085cmのサイズのパネル2枚でワンセットの作品です。当時はまだMacが出始めの頃でDTPを大手デザイン事務所がやり始めた時代。大判プリントなんて、出力に何時間もかかり、単価も1枚何万もしました。Macはメモリ16MBが凄い!みたいなパソコン原始時代です。
#今ならOSすら動かんよ。
なので我々ビンボー学生は、もうすぐパソコンで描く時代が来ることをわかっていながらも、まだまだ手描きを強いられる時代でした。超めんどくさがりの私には苦行でしかない。あと5年後に生まれてたらこんなことしなくていいんだろうなーと思いつつも、ケント紙を水張りして、下地を塗って、上からアクリルガッシュという絵の具で筆と刷毛を使って、トレーシングペーパーで文字を写してレタリング。ひたすら修行僧のように黒と白をコツコツコツコツコツコツコツコツ2ヶ月半くらいかけて描きました。
#今ならパソコンで1日だよね
#技術革新の境目に立ち合えたと云おう。
さて、作品ですが、私はあえて「白と黒」のみで表現しました。途中で色を入れたくなる衝動と迷いとずっと葛藤しながらも、最初のインスピレーションを大切に、表現したいことに集中して自分を信じてやり切ることにしました。とても怖かったです。周りの人達がカラフルに素敵な作品を描いているのがチラチラ横目に見える中で、こんな単純な色のない作品で大丈夫なんだろうか?評価してもらえるかどうか分からない。自信がグラグラして悩んで悩んで悩んでいました。担当の先生の中間講評では「このままでいいんじゃない?」とのらりくらりとしたテンションで、良い!のか、まぁこんなもんかな?なのかよく分からない、、、今思えばもっと先生に質問して喰らいつけば良かったのですが、当時のチキンな私は怖くて突っ込めなかったのです。ひとり悶々と自問自答したってスッキリした回答は出ませんでした。
タイトルと色と画面は全て「対比で一対」にしました。でも、これ今だから言語化出来たのです。その頃は何かもうコレでしょ!って感じで突っ走りました(汗)
映画を題材に選んだのは、その頃映画鑑賞にハマってたから。簡単です。実家のご近所さんが東宝の株主優待券を束でくれる人が居て、映画が大好きだった私は大学の授業もほどほどに笑、昼間から映画館へよく行っておりました。デザイン科の先生も映画沢山観るといい、って勧めてたし。
#素直なんですぅ
出会う映画は、寝ちゃう作品もあれば、泣いちゃうのもあるし、笑えるのもある、当たり外れが大きいけれど楽しい時間でした。物語を考えるのも好きだったので、映画雑誌もよく目を通していて、制作側と楽しむ側、撮る側と観る側の視点が「合致」すると感動が起こるんだな〜と、なんとなく思っていました。
2つの視点を表現したくて、タイトルは
What can I see?
What can you see?
どちらも和訳すると「何が見えますか。」になります。
そして、このテーマはずっと今も自分の中に在るなと、作品を見ると改めて思います。
自分視点から見た景色と、俯瞰して見た景色との間に本質(見えている世界とただの事実はどちらも事実である)があるのだと感じています。
さて、何故、対比にこだわったのかというと、もともと作品の表現方法にコントラストを付けるのが好きで、デッサンではデザイン科の学生なのに絵画科の学生が描くような陰影の濃ゆいものを描いて驚かれたり、デザイン課題では教員から使うなと言われる補色(反対色)っぽい色を置いてインパクトを付けちゃうタイプで、講評ではほぼ先生に注意されたり、順位を下げられたりをよくしていました。でも稀に「面白い!いいね!」って言ってくれる変わった先生や友達が居て、うふ、って喜ぶ(今やってることもそうだな笑)という自己満足の塊みたいな学生でした。
今振り返ると、日頃の葛藤の中で「対比」を思う存分表現したい!!というフラストレーションが溜まっていたと思います。
学生時代の作品はこれが最後だし、商業デザインの仕事に進んだら好き勝手に作れる作品なんて、ないだろう。やってみたいことを思いっきりぶつけよう。そういう思いもありました。
結果的にモノクロで通した作品は幸運にも卒業制作賞に選ばれました。
#ザ・過去の栄光
とても嬉しかったし、初心を貫いたことが結果に繋がり、安堵を覚えました。嬉しいよりも安堵が強かったように思います。幼い頃から私は絵を通して人に説得、納得してもらうことで自分の居場所を見出していたのです。だから、評価されないことへの不安はとても大きなものでした。
そして、この対比的な表現が認めてもらえて、自分も好きだったはずなのに、、、また、悩みました。その後社会人になって、デザイン事務所で働いたり、WEBデザインの世界に入ったりする中で、このモノクロの対比的表現が好きな自分とは別に、全てを混ぜこぜにフワフワ、キラキラしたファンタジーな表現が好きな自分がいました。
ファッションでもインテリアでもそうです。
何かを選択する時に、どちらかの系統で統一して選べない自分にイライラしていました。本当に私が好きなのはどちらなんだろう?本当に似合うのはどちらのタイプなんだろう?とグルグルグルグル考えて迷う。
本当の自分はどっちなんだ!!!
とずっと根底にモヤモヤしていました。
で、星読みを初めて、やっとこの私のモヤモヤがスッキリしたんですよね。
結論から申し上げますと、、、
どっちもや!!
#何故か関西弁
でした
それを受け入れたら、すごーーーく楽になって、また表現することや、買い物が楽しくなりました。自分が持っている特性を理解して使う。それでいいんだなと分かりました。どうしてか私は自分をカテゴライズして枠にはめて安心したかったようです。それは評されることに心の拠り所を求めていて自分の存在を自分が認めてあげて居なかったから。だから、より自分が評価される枠を決めたかったんだと思います。そのために、どちらも本当なのに、どちらかを偽物にしようとしていました。
美術の道を進むと、多かれ少なかれ、自己表現をするために自分と向き合わなきゃならなくなるのですが、どう向き合ったらいいかなんて学校では教えてくれません。自己表現のために自分の心と向き合うのは高校生、大学生にはなかなかハードな修行です。すると、だいたい、心と向き合っているはずがいつの間にか「方法」を探しているだけになってたりします。私たちの時代は強く「個性」を求められました。まず自分があるがままの自分を認めなきゃ始まらないのに、「こんな個性を持つ自分」をつい捏造してしまう。そして「誰とも被らない斬新な自己表現方法」を全員で探し回る。中身はそっちのけで外見にこだわる。いやいや、そうじゃなくて、、、なのですが。
そこでたまに、自分と向き合って地味に作ってた人が出す作品はとても説得力があってやられます。他のみんなはそれを見て、ガツンと我に返ってまた振り出しに戻る。その繰り返しでした。
心の仕組みを知って、星を見直すと面白いくらい出ています。これが私の星の配置です。
#4ハウスと5ハウスの境目に集中しまくり
私の星は、太陽蠍座で破壊と再生の星です。それが5ハウスの好きなこと、自己表現の場所にあるので、デフォルトで陰陽の対比は自己テーマなのです。そりゃ表現したくて当たり前なのです。
そして、金星が天秤座でキラキラ綺麗なものが好き、そして木星は魚座にあって、融合の星です。
月が水瓶座で新鋭的なものが好き、木星と月はどちらも9ハウスにあり、海王星と手を結んでいて、ゆるゆるふわふわした妄想が大好き。となるので、カラフルに混ざり合うビジュアルにも惹かれる訳です。
だから、どっちか、では無い。
どっちも在るんです。
あゝ無駄に悩んでいた日々よ…です
そして持っている星を全部使い切って現せばいい。どう使うかは私次第。という訳です。
あの学生時代の作品を紐解くならば、色やタイトル、ビジュアルは蠍座的な対比を使い方、それらが一緒(融合)して初めて成り立つ世界だよね、というメッセージを木星や月が位置するところで表現したもの。なのだと思います。だから、私は過去の作品はダメ出ししか思い浮かばず見たくないものが沢山ある中で、未だにコレは好きです。自分の星が使えてるからではないでしょうか。
そんなことを腑に落とせたから、止まっていた制作への意欲が沸いてきて、出生図星読みという形で楽しめるようになったという今です。
まだまだ自分の存在に"agree"することが100%は出来てはいないのですが、その尻尾を掴めている心地よさはあります。
これからも、星と心を学びながら、表現することを続けていきたいと思います。
長々とお読み頂きありがとうございました。
#感謝
-yacco