≪オダイバ・ダッタ≫の誕生
魂日和(こんにちわ)!
ひょんなことで、アメブロに登録することになった。
今日は、’09.6.6・・・
666ではないけど、ちょっと、意味ありげな日!
≪オダイバ・ダッタ≫の誕生の日としては、
ぴったりの日和かもしれない。
もし、俺に前世があったとしたら、きっと、
≪ダイバ・ダッタ≫かもしれない?
≪ダイバ・ダッタ≫って言う人は、
2500年前に、インドで、釈迦仏(ブッダ)の弟子のひとりと
されている人なんだ。
ブッダに「五事の戒律」という非常に厳しい戒律を提案したんだけど、
受け入れられなかったので、
分派して新しい教団をつくったといわれている。
すごく頑なで、純化し、融通のきかない人だったってことだね。
俺の自分の半生を振り返ってみると、
すごく頑な過ぎて、孤立していた時期が長かったなって
おもってる。
まあ、この半生の俺のことを
ここで、記すことは、今日はしないけど、
かなり極端な半生だったと反省してる。
頑な過ぎると、もろ刃の刃・・
あまりの頑なさは、自らを落としいれてしまう。
俺は、その失敗はしない。
かといって、あまり自由にやりすぎると、
嫉妬されたり、島送りのようなことをされてしまう。(笑)
伝説の中の≪ダイバ・ダッタ≫は、
ブッタに反逆した罪で、無間地獄に落とされてしまう。
ブッダの慈悲はどこへ行ってしまったんだろうと思うけど、
これは、物語りであって、実際のところは、
教団を分った以外は史実になく、
これはスケープゴートされただけともいわれているんだ。
まあ、当時のことを知っている人なんで
一人もいないから、そのことも真実かどうかは、
わからないんだけど・・・・・
戒律を厳しくすることで、真理に近付こうとした
≪ダイバ・ダッタ≫・・
中庸という、厳しすぎず、あますぎない中間でやっていこうとした
ブッダ・・
ダッタは、戒律にあまりにも縛られすぎて、
解脱できず、きっと、その意識のエッセンスは、
この世の中に残された。
物語風に言うなら、
ブッタは、解脱し、生まれ変わることはない。
しかし、ダッタは、こうしてこの世の中に生まれ変わることを許された。
大きな失敗は、大きな教訓となった。
何も失敗しなかった優等生よりも、
多くの苦境から学びとったものが、ダッタの力となった。
この世の中は、もしかして、無間地獄?
ダイバ・ダッタは、無間地獄で、自分の頑なさがうんだ過ちを悟った。
ダイバ・ダッタは
この世でその名を≪オダイバ・ダッタ≫とし、
旅をはじめることにした。
その旅のはじまりは・・・
オダイバダッタ・・・(笑)
ダイバ・ダッタの例も、そのひとつだとおもうんだけど、
戒律が厳しいかったり、自分の世界観だけが正しいと決めてしまうと、
宗教にしても、政治にしても、いたるところで分派がおき、
この世は、まるで、無間地獄と化して、
いたるところで闘争や競争が続いているよね。
日本にいると実感がわかないんだけど、
俺がバリ島に住んでいるとき、
クタというところで、大きな自爆テロがあったんだ。
戒律が頑な過ぎたり、自分の世界観だけにとらわれると、
その瞬間から、それ以外の考えを葬りさろうとする妙な力が
生まれてくる。
逸脱したものを罰したり、破壊しようとする力に変換される。
んじゃ、自由が一番に決まっているんだけど、
人間中心で考えた自由と本質的な自由は、
違ってくる。
上の例と同じように、人間だけの世界観だけにとらわれてしまうと、
そこからしか、世界をとらえられず、
バランスがくるって、結局、自分で自分を苦しめる結果になる。
すべての存在において自由な状態って、
力のバランス!
力配分が何かに偏ることなく、均等につりあっている状態・・
自然界の循環のメカニズムとか・・
この姿が、自由だって感じるんだよね。
どう考えても、この世に生まれてきたら
肉体という物質があるから、重力にかならず、影響され続けるわけだよね。
死んで肉体がなくなりゃ、重力からの束縛から脱せられるけで、
この身体をもって、生きているって、
いかに重力とつきあっていくのかってことが、
テーマになるって、俺は思っちゃったわけなんだ。
そんなことできんの?って思うかもしれないけど、
踊ったり、スキップしたりしているときが、
重力と戯れている瞬間だといえるし、
その他にも、いろんなやり方がある。
俺は、自然そのものから、
リアルな情報をえたくなって、
最近、滝に打たれに行ったり、
本当の崖っぷちに立ったり、
台風がくる前の日のうねりのある海に入ったりするようになった。
知識じゃなく、実体験しないと、説得はされても、納得できないから・・・
「人は、崖っぷちに立つと、どんな意識になるんだろう?」とか
「波にもまれるって、どんな感じかな?」とか
実際にやってみてしまうのが、俺の習性なのかな・・
今までやってきたことも、自己責任で、
やったら、得るものも、失うものもあった。
知識という他の人たちがつくりあげた見識や、
想像や、空想のなかで、毎日を過ごすのは、
もったいない気がしてしまう。
【石川県ふくべの大滝(86m) 右下の岩の上にちょこっと座っているのが自分。
この滝は、遠くで眺める滝で、人が打たれる滝ではないんだけど、打たれてみた。
まじ、おそれいった!って感じ。
打たれているときは、言葉もなかったけど、
おわったあと、ありがたさがすごく身にしみた。】
まあとにかく、リアルは、バーチャルより、
とんでもなく、おもしろい!
脳は活性化されるし、自分の細胞と細胞が連携して、
その細胞たちがつらなって、
自分という存在になっているのが、
リアルに感じられたりする。
修行というより、
俺の趣味なんだよね。
人様に迷惑がかからないようにしつつも、
これからは、大自然の懐にはいって、
リアル・コンタクトしまくりたい。
≪オダイバ・ダッタ≫の旅のはじまりってことかな!!


