この星に愛を分かち合いに来た仲間たちへ
不自由は嫌ですか?
自由になりたいですか?
では自由って何でしょう?
自由が何かわかってないと
それを手に入れることもできません
もうしばらく感じて
自分の中で
答えを見つけてください
私が感じる自由とは
住みたいところに住み
行きたい時に行きたい所へ行って
したいことをして
誰かに会いたいと思ったら会いに行ける
食べたい時に食べたいものを食べる
そんな感じです
またもっと
大事な点で言うと
いつ・どこで・誰と居ても
そのままの自分で居れること
相手によって自分を偽らない
相手が誰であろうが自分の魂に正直でいる
目の前に居るのが
目上の人であろうが
目下の人であろうか
何の問題もない
嬉しかったら、嬉しいと言い
嫌だったら、嫌だと言う
素晴らしいものには、素晴らしいと言い
くだらないものには、くだらないと言う
愛してると感じたら、愛してると言い
馬鹿野郎と思ったら、馬鹿野郎と言う
自分の魂に繋がり
打てば響くように
感じるまま
湧き起こるままに生きる
これが私が感じる自由です
そして
自分自身にそれを許すとき
結果として
そのような現実が
自分のまわりに立ち上がります
なぜなら
自分の現実を作っているのは
他の誰でもなく
自分自身だからです
つまり
自由がない人は
自分で自分の現実を
作っていないんです
誰が作っているのか?
それは自我です
自我とは
思考・感情・信じ込みの
複合体です
その自我に乗っ取られ
自我に操られ
望まない現実を作っています
自我の奴隷から抜け出し
本当の自分に目覚め
自由で楽しく豊かに生きたいのなら
思考から離れ
体に戻り
ハートに繋がり
感情を癒やし
ハートの奥に在る
本当の自分に戻ることです
そしたら
自然と自由になります
そして
望む現実を創造することが
できるようになります
住みたいところに住み
行きたい時に行きたい所へ行って
したいことをして
誰かに会いたいと思ったら会いに行ける
食べたい時に食べたいものを食べる
ことが
できるようになります
そして
いつ・どこで・誰と居ても
そのままの自分で居られる
ようになります
あれ
書こうと思ったことと違うことを
話してしまいました
朝
シャワー浴びて
服を着た時
部屋着なんていらない
それはとっても自由だと感じて
スマートフォンを手に取り話し始めたんですが
ちょっと
それよりも深いことを
話してしまいました
では
本題に戻ります
部屋着なんていらない
これ
私にとって
自由になるのにスゴク大きかったなと
思います
私もずっと部屋着を着てました
朝起きたら部屋着を着て
出かける前に着替えて
家に帰ってきたらまた部屋着に着替える
そんな事をしていました
でもある時
部屋着を捨てました
いつだったかな〜?
多分
2008年8月31日に体が壊れ
毎日3食普通に食べていても
どんどん痩せていき
このまま衰弱して死んでいくんだろうな
という時に
部屋着を辞めたと思います
死に掛けてる時
それ以外にも
色んな物事を見直したり
何か意識が変わって辞めた
ということがたくさんありました
二十歳の頃から20年間
精神世界を探究して
いろんなことをやったのに
全然自分の暮らしは楽にならず
生き辛さもなくならず
どんどん苦しくなり
挙句の果てには
体が壊れて死にかけてしまいました
自分で言うのもなんですが
何でも人並み以上に真剣に
探究し続けたのに
挙句の果てがこのザマかと
人生なんてこんなもの
どんなに頑張ったって
楽になりはしない
生きづらさも
なくならないどころか
反って苦しくなる
人生なんてこんなもの
もう死んでもいい
そう思いました
でもね
胸の奥から
何かがこう言ったんですよ
このまま死んだら来世はもっと大変になる
それを聴いて
確かにそうだ
それは嫌だ!
せめて
なぜこうなったのか
その原因だけでも知りたい!
そう感じました
だから
どんどん痩せていき
どんどん衰弱していく体を
引きずるようにして
色んな所に行ったり
ネットで検索して
いろんなことを調べました
いわゆる
スピリチュアル的なことだけではなく
食べ物や食事
身体の動かし方や整体など
色々調べました
そして
毎日ちゃんとお湯に浸かって
体を温めて寝るようにしたり
スリッパを止めて鼻緒付きスリッパにしたり
夕食は自炊して体を温める野菜を茹でて
味噌を入れて食べるようにしたり
アウターマッスルを鍛えるジムでのトレーニングをやめ
インナーマッスルを使うジャイロキネシスを始めたり
そうそう
体がどんどん衰弱して
死に向かう時って
不思議な体験でした
身体というのは不思議なもので
どんどん衰弱していく時には
生き延びるために
生きることに関係のないものから
エネルギーをカットしていきます
だから
思考がどんどん静かになっていき
意識が研ぎ澄まされていきました
雑念とか欲望が
どんどん消えていくんです
まるで聖人になっていく
かのように
あと
着るものも変わりましたね
元々
そんなに
あれこれ着るタイプでは
なかったんですけど
色が濃いものが着れなくなったり
傘も真っ黒な傘させなくなったり
そんなこともありました
そんな流れの中で
部屋着も捨てました
これとっても良かったですね
家にいる時も
外に出るときも同じ格好
これが
いつ・どこで・誰と居ても
そのままの自分で居ることに
とても大きく影響していると感じます
だってそうですよね
なんで家の中では部屋着を着て
外に出るときはちゃんとした服を着るのか
それって
そっくりそのまま
人の目を氣にして生きている
人に合わせて自分を偽って生きている
って事ですよね
私は
一人で家にいるときも
ランチを食べに行くときも
何かの集まりに行くときも
八ヶ岳でのんびり過ごしている時も
東京に行くときも
友達に会うときも
彼女に会う時も
クライアントさんに会う時も
毎日
いつでも・どこでも
同じ格好です
これが氣持ちいい!
これがが好きだ!
と感じるものを
いつも着ています
そうすると
いつ・どこで・誰と居ても
そのままの自分で居られます
まあこれには
自分の中の
傷や感情や間違った信じ込みを
癒しておくという事も
とっても大事ですけどね
いろんな傷や
いろんな感情や
いろんな信じ込みによって
自分で自分のことダメだと思っている
だから
人の目を氣にして
人に合わせて
相手によって
態度を変えたり
するんですからね
そういった
エネルギー的なことができていたら
自然と部屋着も要らなくなります
だって
自分でそのまま自分を
認めていたら
誰に何を言われようが
それはその人の
思考・感情・信じ込みを通して
自分を見て言ってるだけですからね
そして
その誰かというのは
たくさんの
傷や感情や間違った信じ込みにまみれ
自分が何なのかもわからない
泥団子のような人ですから
そんな人に
何を言われようが
全然関係ないですよね
そうなってからだと
コロナウイルス騒動が始まっても
騙されることはないし
マスクなんていらないし
自粛なんてしないし
いつでも
行きたい時に行きたい所に行って
会いたい人に会って
食べたいもの食べて
自由に楽しく過ごすことができます
逆に言うと
大多数の人たちは
自分の中の傷なんか見たくない
感情なんか感じたくないと
逃げ続けるから
いつまで逃げたんじゃい
はよ目覚めんか!
ということで
コロナウイルス騒動が
起こってるですからね
そうそう
着るものについて
もうひとつ
思い出したことがあります
私の本格的な目覚めの旅の入口は
インドの覚者OSHOの
世界に出会ったことでした
その切っ掛けは
1997年ぐらいのことでした
当時は
ライトボディの覚醒化という
瞑想コースに参加していました
定期的にワークショップに参加し
毎朝 CD 使って瞑想していたんですが
内側は平和になるのに
暮らしは全然、平和にならなかったんですよね
内側は豊かな感じになるのに
暮らしは全然豊かにならなかったんですよね
そんな時にクリスマスパーティーがあって
講師の人にこう言ったんです
瞑想して平和になって
豊かな感じになるのに
何で俺の暮らしは変わんないですか??
そしたら
その人が
ボディワークって知ってる?
と言って
ある人を紹介してくれたんです
当時の自分は
お金がなかったんで
何か勧められると必ず
それいくら?
と訊いてました
でもその時は
その質問すら起こらず
名前と電話番号だけをもらって
翌日に電話して申し込んでました
そして当日
行ってみたら
部屋の壁に髭面の男性の
でっかいポスターが貼ってありました
多分これ
なんか見覚えのある顔でした
それは20歳の頃
性欲をなんとかしなきゃいと思って
ブッククラブ回のニュースレターで見て
購入した本の著者でした
当時は
それを読んでも全く理解できず
俺が知りたいことは何も書いてない
同じことばかり繰り返し言って
氣が狂ってんじゃないか
と思いながらも
引っ越しをしても
捨てずに取っていた本の
著者でした
その人が
インドの覚者OSHOでした
そしてそれは
リバランシングという
ボディワークでした
そのセッションが終わると
寝てるでもない起きてるでもない
不思議なスペースを体験し
これは自分にとって何か大切なものだ
いつもこの感じで居れたらいいんだ
という風に感じました
しかし
2週間も経つと
雑事にまみれ
その不思議なスペースは
なくなってしまいます
なので
いつもこの感じで居たいと
隔週で受けに行っていました
そして
1年くらい経った時
身も心もかなり解れて
やわらかくなってきた時
その人が主催する瞑想会に誘われ
参加しました
何をするのか
全く知らぬまま参加したんですが
最初に体験したのは
OSHOクンダリーニ瞑想でした
それを初めてやった後
リバランシングのセッションの後に
毎回体験している
寝てるでもない
起きてるでもない
不思議なスペースが起こっていました
そうか
これでも体験できるのか!
という大きな発見でした
そして
その瞑想会で
OSHOが作った他の瞑想にも
馴染んだ頃
都内の他の場所でも
他の人たちが瞑想会をしていることを教わりました
当時はまだ
インターネットもなかった
時代ですから
そういった瞑想会の情報は
FAX で流れてきました
誰かがFAXで
情報を送ってくれてたんですよね
しかも無料で
それで
いろんな瞑想会に
参加するようになりました
基本的に
和尚の瞑想会を瞑想は
体を動かすものなので
汗をかくし
結構激しく動くので
会場に着くと
先ずは
動きやすい服装に着替えて
瞑想していました
これが
導入として良かったんですが
今振り返ると
その格好にならないと瞑想できない
みたいな
変な条件づけになってました
その条件から外れたのは
いつかと言うと
2008年8月31日に
体が壊れて
死にかけて
2008年12月に
サトルボディヒーリングに出会い
救われ
2009年7月
自分自身を癒すために
サトルボディヒーリングの
トレーニングに入った時でした
サトルボディヒーリングの
トレーニングは
基本的に
椅子に座った状態で瞑想します
時に呼吸を使ったエクササイズなどで
体を動かすことがありますが
それでも
普段着ていたような服装でも
普通に動ける感じでした
ダンスタイムで
ノリノリの曲がかかって
踊り狂うと
汗をかいちゃうみたいなことありましたが
みんな着替えることなく
来た時の格好のまま参加してました
これがとっても良かったですね
私はもうすでに部屋着を捨てていたので
トレーニングの時も
いつもの格好でした
なので
トレーニング中に瞑想するときと
家で一人で瞑想するときと
何の違いもない
そんな感じになりました
これも
今にして思えば
とっても良い変化でした
そして
これが
いつ・どこで・誰と居ても
そのままの自分で居る
今のこの
自由で楽しく豊かな在り方に
とても大きく繋がってます
瞑想するのも
いつ・どこで・誰と・何をしていても
いつでも氣づきそのものに繋がり
いつでも氣づいてる
これが本当の瞑想ですからね
そういう意味でも
着替えなくても
氣づいていられるのに
部屋着なんかいらない
っていうのは
とっても大事だなと思いました
いや~
スマートフォンの音声入力機能
とっても便利です
こうして話してるだけで
文字にしてくれるんですから
とは言え
誤変換もあるので
この後パソコンで修正して
アップしようと思います
ここでは
傷や感情や間違った信じ込みを癒し
本当の自分に目覚め
愛に満たされて幸せになり
魂の伴侶と再会し
愛しあい高めあうことで
もっと幸せになり
本当に望むことを思い出し
愛と喜びと自由と豊かさに満ちた
人生を創造し楽しむことを
サポートしています
その旅は
サトルボディヒーリングから
始まります
その旅を
一緒に始めてみませんか?
サトルボディヒーリングについて
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