氣づくことは、目覚めの始まりに過ぎない。結局のところ、氣づくのは目覚めの始まりに過ぎない。大事なのは、対象に氣づくことではなく、自らの内に在る氣づきの主体に氣づくこと。そして、それで在ること。そのためには、氣づきの主体を覆い隠している怒り・恐怖・不安・恐れ・悲しみ・恨み・嫉妬・・・といった感情に氣づき受け入れ癒す必要がある。なぜなら、感情が反応する度、感情に呑み込まれ突き動かされ外に向かい、氣づきの主体から離れ忘れてしまうから。