今日、ある人とのやり取りの中で、神ごとに関わりだして、神様の話をよく聞くようになったことで感じていた違和感が何なのかが観えてきました。
私は、神という言葉を避けてきました。
なぜなら、神という言葉も愛と同じように誤解され歪められてきたからです。
代わりに私は『存在(大いなるすべて)』という言葉を使ってきました。
そして、一般的に使われる神様というものは、人間の弱い心がすがる対象として作り出したものだと思ってました。
しかし、神様と呼んでいる存在は、太古の昔、人間を作り出した宇宙人のようなものだと氣づきました。
彼らは『存在(大いなるすべて)』ではなく、人間よりも幾らか高い次元の宇宙人だと感じます。
だから、ギリシャ神話の神のように人間と同じような質を持ち、争ったり騙したり偽ったりします。
そして彼らもたこの世界の次元のものです。
そのような人間よりも幾らか高い次元の宇宙人は、当時の人間から見たら、神様に見えたのでしょう。
しかし、そのような宇宙人たちを存在(大いなるすべて)と混同すると、私たち人間は苦しんでしまいます。
そういった宇宙人すらも含み超えたもの、この世界の次元を超えたものが、本当の神『存在(大いなるすべて)』だと感じます。
そして、本当の自分とは、この世界のどこを探しても見つからず、この世界の次元を超えたところに在る。
その次元に在りながらも、体を通してこの世界に生きる時、私たちはより楽にこの世界を楽しむことができると感じます。