生まれ変わる少し前から、車の中ではいつもこのCDを聴いています。
エンヤのウォーターマーク。
このCDは、宇宙を感じさせてくれ、とてもいい感じです。
それも多次元な宇宙。
そこにチューニングしていると、この世界が全く違って感じられます。
この世界の中に囚われていては、この世界を楽しむことはできません。
それは、二次元の世界に囚われていては、二次元の世界を楽しめないのと同じです。私たちは、三次元に生きているから、二次元の世界を見渡し楽しむことかできます。
同じように、三次元の世界に囚われていては、三次元の世界を楽しむことはできません。しかし、本当の自分はこの世界の次元を超えたところに在ることを思いだし、この世界に気づいているなら、この世界を楽しむことができます。
そういう意味で、エンヤは素晴らしいと感じます。
エンヤを初めて知ったのは、もう25年も前、26歳の時です。
当時はまだ自衛官でした。
しかも、お盆休み明けからクリスマス前まで、長期出張でアメリカのテキサスに行っていました。
当時は、千葉にある陸上自衛隊の中の学校で、レーダー修理の教官をしていました。仕事では、こんなレーダーや
こんなレーダー
が、どんな仕組みで動いていて、壊れたらどんな風に原因を見つけて、どんな風に修理したら、バッチリ動くよ。そんな事を教えていました。
これらのレーダーは、ホークという敵の飛行機を見つけて撃墜するためのシステムの中のものでした。レーダーで見つけたら、こんなミサイルを発射して撃墜します。
かなり物騒なものですから、国内では 発射できません。そのため、現場の人たちはアメリカのテキサスの砂漠にある発射場まで行って日々の訓練の成果を確かめます。
私は、その発射訓練の期間中ずっと現地にいて、次から次に来る部隊の人たちをサポートするチームのメンバーとして参加していました。しかも、修理チーム一つののリーダーとして。
とは言え、私は、学校を卒業してすぐ教官室に配属された(前例のない異例の事)ので、現場経験はゼロでした。そして、教え初めて7年が経過していたので、チームのメンバーは同期が一人、教え子が3人(たぶん?)という恵まれた環境でした。
つまり、現場のことがわかってなくても、全部後輩がやってくれ、私はのんびり過ごすことができました。
当時、既に精神世界(昔はスピリチュアルなことをこう呼んでいました。)に興味を持ち始めてからも7年が経過しており、アメリカ出張に行くと伝えると、「セドナに行ってスウェットロッジを体験してくるといいよ。」と、当時お世話になっていたブレスワークを行っている人たちに薦められたものでした。
出張中、小林克也のアメリ缶の旅行編で培った英語力(度胸)で、航空券とレンタカーを予約し、教えてもらったセドナのニューエイジセンターの宿泊予約をして金曜の勤務終了後から二泊三日で出掛けたものでした。
そうそう、流石に「セドナに行きます。」と上官に言う度胸もなく、そもそも外国で一人での外泊は許可を得るのが難しかったので、誰にも何も言わず無断で出掛けたものでした。
そして、不思議な流れで、同じ宿に宿泊する日本人の男性と仲良くなり、その男性の友人にセドナを案内してもらいました。そして夕方、宿に送ってもらうと、その女性が「今夜、○○でスウェットロッジがあるから行くといいよ。」と言ってくれたのです。スウェットロッジなんて全然話もしてないのに。
そして二人で、居留区にある家を訪ねると、快くスウェットロッジに入れてくれたのでした。正直、その受け入れ方に驚くほどでした。そして、今生では初めてのスウェットロッジを体験することができました。
ネイティブアメリカンの人たちの人たちのスウェットロッジは、基本的に男だけです。庭にこんな感じのドームが設置されており、
全員が着ているものを全部脱いで、生まれたままの格好で入ります。
中に入って地面に敷かれた毛布の上に座ると、頭の上にわずかに空間が空くくらいの高さでした。中央には穴が掘られています。全員が輪になって座ると、中央の穴に真っ赤に焼かれた石が幾つも運び入れられます。そして、入口が閉じられます。その瞬間、真っ暗になり、焼けた石が赤く光ります。
その瞬間、パニックになりそうで、走り出したくなりました。閉所恐怖症などなったことも無かったのに。何とかそんな自分を踏み留まらせていると、リーダーが水を焼けた石に掛け始めます。そう、当然、水が瞬間的に蒸気となり舞い上がり、天井を伝って背後へと降りていきます。内部は一気に熱さを通り越し痛いくらいの高温のサウナになります。動くと痛いのでじっと耐える、そんな状態でした。
そう、この時も、パニックになりそうでした。必死に抑えてじっとしていると、一人一人順番に祈りが始まります。基本的に彼らは彼らの言語を使っていたので、詳細は不明ですが、空気感でそう感じました。中には英語で話してくれる人たちもいて、どこの馬の骨とも分からないイキナリ来た日本人二人のことも祈ってくれていました。
その歓迎ぶりがまた心に響きました。彼らは兄弟と呼んでくれるのですが、確かに古くは同じ種族だったそんな感じがしました。そして、彼らの自然との繋がりを失ってない在り方に、男としてカッコいい人たちだと感じました。そして、彼らの仲間に入れてもらったことがとっても嬉しく感じました。
あんな風に男同士の繋がりを感じたのは初めてでした。
そして、スウェットロッジが終わり外に出ると、頭上には満天の星空が輝いており、周りを見渡すと周り中に稲妻が光っていました。今でも忘れない不思議な光景でした。
その後、リビングに案内され、夕食をご馳走になりました。家の中ではごく普通のアメリカの家庭のような感じで、ちょっとショックを受けました。そう、それは、外国人が『日本では着物を着て刀を挿している』と思い込んでいるのと同じようなものが、自分の中にもあった事に氣づかせてもらいました。変ですよね。
そして、車に乗り込んだ途端、いきなり雷雨が来ました。それはセドナへ着くまでの1時間ずっと続いており、宿に入ってからも続いていました。そして何時間経っても全く衰えることのない雷雨に、大自然を感じました。
そして翌日、セドナのエネルギーとそこでの体験が素晴らしかったので、首に下げるクリスタルのペンダントが欲しいと感じました。そう、イメージは、ランボーの映画に出てくるような感じでした。形としては、上が平らで下に向かって細くなっていく感じで、左右は対象ではなく自然な感じ。
それを探して、セドナ中のクリスタルショップやニューエイジショップ(今で言うスピリチュアルグッズを扱っているお店)を周りました。直ぐ見つかるだろうと思いきや、なかなかイメージ通りの形のクリスタルペンダントに出会えませんでした。
そんな中、とあるニューエイジショップに入ると、流れていた曲に引き込まれました。そして、片言の英語でお店の人に何という曲か尋ねると、CDのケースを見せてくれました。それが、enyaのシェパードムーンでした。
以来、enyaが大のお気に入りで、氣がついたらCDもたくさん増えていました。
その後、青梅で一緒に暮らしていた彼女が、Miten(ミテン)とDeva Premal(デヴァア・プレマール)を日本に呼んでライブやワークショップを主催してそれにヘルパーとして参加させてもらってからは、彼らの大ファンになりました。
なので、車の中では、enya、Miten、Deva Premalばかりを聴くようになっていました。
その後、2010年3月、サトルボディヒーリングのトレーニングの1年目が終わり人も癒せるようになった時、『7月にある次のトレーニングまでの間、セルフヒーリングだけでなく人へのヒーリングも練習しておかないといけない。』そう感じました。
その時、トレーニングが始まった時から、ある古い友人でサトルボディヒーリングの先輩でもある人に、「ヒーリングできるようになったら交換セッションしましょう。」と言われていたことを思い出し、誘ったのでした。
その一回目の練習会で、「ヒーリング中に掛けるといいよ」と教えてもらったのがデューターの霊気でした。
これはすごく気に入り、以来ずっとヒーリングの時に掛けています。そう、対面だけでなく遠隔ヒーリングの時も。
その時に一緒に紹介されたのが、同じくデューターのアトモスフィア―です。
これもまた氣に入り、以来ずっと車の中で聴いており、ヒーリングの前後のシェアリングタイムにも流しています。このアルバムは私にとって、中心を思い出させてくれるものです。なので、ずっと聴いていました。
そして、今年の後半、神社巡りをするようになってから、高速を走るときにMitenのCDを聴くようになりました。というのも、長崎自動車道は路面が荒くロードノイズが酷く、またエネルギーも低いので、デューターのアトモスフィアでは物足りなく、もっと大地に響くようなパワーを必要と感じたからでした。
中でもこのCDがお気に入りでした。
Mitenの Global Heart
そして、さらに神社巡りをする中で、enyaにシフトし、今は、ウォーターマークが大のお気に入りなのでした。そう音楽でも、ぐるっと回って原点に戻ってきた、そんな感じです。







