彼方から現れる光に満たされ、光に導かれるままに。 | 感情を癒して、本当の自分に目覚め、自由で楽しく豊かな現実を創造する。 ヒーリングサロン ディヴァイン・ロータス 長崎県 大村市

感情を癒して、本当の自分に目覚め、自由で楽しく豊かな現実を創造する。 ヒーリングサロン ディヴァイン・ロータス 長崎県 大村市

ここでは、
ヒーリングと瞑想を提供することで、
本来の自己に目覚め、
本当に望む現実を創造して、
自由で楽しく豊か生きる事を
サポートしています。

今回、彼女に会いたい、会いに行こう、その思いに従って出てきてよかった。

 
そして、この2日彼女と一緒に過ごしてわかったこと。
それは、この間起こった変容によって起こっているものと、彼女と一緒に過ごしているときに起こっているものとが同じだということ。
 
 
すべてを明け渡し、彼方から現れる光に満たされる。
それに満たされ、それに導かれるままに生き、それを分かち合う。
それが私にとって最も大切なこと。
 
 
そして、彼女と一緒に過ごしていても、彼方から現れる光に満たされる。それは、同じだった。
私がこの体を通してこの世界に生き分かち合うものと、彼女と一緒に過ごしているときに現れるものが同じ。
そう、この両方を大切に生きていこう。そう思えた。
そう思える人と出会い、遠く離れても尚繋がり続けることができる。これは、とても嬉しいこと。
 
 
 
今回、青梅を離れて5ヶ月ぶりに東京に出てきて、昨日は彼女と一緒に青梅にも行けてよかった。
 
河辺駅でレンタカーを借り、青梅駅近くの釜の淵公園へ。
夏の暑さが厳しかったせいか、あいにくの曇り空だったせいか、木々の緑はちょっとトーンダウンしていたが、エネルギーはかわりなかった。
そして、お気に入りの高台から多摩川を見下ろす。
 
 
 
 
そして、車を走らせお気に入りのカフェ、アイムホームへ。
いつも停めていた場所に車を停めて店内に入ると、奥さんとお母さんが驚いていた。
いつもの場所に違う車が入って来て、降りてきたのが私たち二人で驚いたそう。
そして、いつもと変わらぬ美味しさのアイムホームプレート。
 
 
前回彼女と一緒に訪れたのは、ゴールデンウィーク。
お店の人たちはもちろん、店内に流れる音はもちろん、この空気感、このメニュー、そして周りの自然。
やっぱり、ここは特別な場所。
その特別な場所が変わらずあり続けてくれて嬉しかった。
 
 
 
 
そして、17年住み続け終のすみかだと思っていたアパートにも行ってみた。
ラッキーなことに、部屋も駐車場もまだ空いていた。借りていたスペースに車を停め、玄関前まで行ってみた。
その瞬間、ここに住みたければ住んでいいんだと感じた。
そう、いろんなものがリフォームされたこの部屋に。
 
 
 
実家に戻るくらいなら野垂れ死んだ方がマシ、という思いから頑張り続ける時代はもう終わった。
今度は、実家は実家としてそのまま認めて受け入れたまま、実家に縛られることもなく、すべてを明け渡し彼方から現れる光に満たされ導かれるままに、行きたい所に行き、住みたい所に住む。
そう、何と言うか、単に世界が拡がった感じ。
 
 
 
 
 
その後、お気に入りの御岳渓谷へ。
 
 
途中晴れ間が現れたものの、着く頃には再び曇り空。
 
 
残業ながら、木々の緑はちょっとトーンダウン。それでもやっぱりとても気持ちいい場所。
二人で写真を撮っていたときに、閃いて、彼女に写真を撮ってもらった。
 
 
そう、これまでも殆んどのプロフィール写真は、彼女に撮ってもらったもの。やっぱり、彼女と一緒にいるときが一番いい感じだし、一番いい顔してると思う。
 
 
 
天気が思わしくないということは、先を急げという意味だと二人で話し、立川からの電車の中で閃いて彼女に一緒に行こうと話していた埼玉県飯能市にある富士浅間神社へ向かう。
 
 
 
 
その途中、お世話になった青梅駅近くの住吉神社へ参拝。
 
 
ここは、体が壊れて死にかけたとき、本厄だと気づき、厄払いをしてもらい、その効果を体感した場所。
 
 
以来、よくお参りしていたところ。
 
そして、先日、大分遠征のとき、一緒にランチを食べた人に進められた神ごとをやっていくことを宣言した。
そして、閃いておみくじを引いたら驚いた。それには、次のように書いてあった。
 
 
 
神の教
ご飯食べたり、着物を着たり、勝手いうのが能じゃない
御互いはご飯食べるために生まれて来たのでも、着物を着るために生きているのでもない。
神様から世界作り固めのお役目を受けて、此の地上に高天ヶ原の、住みよい、明るい、平和な世界を作り上げる為に生まれてきたのである。この信仰をもって働き続けましょう。
 
 
 
何と言うことか!
体が壊れて死にかけ、自分自身を癒す内に内側から出て来た本当にやりたいことと神ごとが同じだった。しかも、その切っ掛けとなったのがこの住吉神社の厄払いだった。
 
 
 
そして、再び車に乗り込み、4月10日に初めて訪れ、8年癒し続けて尚残っていたものが、父親への恨みだと気づき、それは自分が握りしめていたと気づき、癒された切っ掛けとなった富士浅間神社へ。
 
 
 
ここには、他の神社と違う祝詞が掲げられている。
 
 
それが、初めて訪れたときも印象的だった。
それは、後にオリキラさん薦められ、長崎に戻って訪れた諏訪神社にも同じものが掲げられていた。
 
そして、この龍のもとへ。
 
 
長崎に戻ると決めてから、やたらと龍に纏わることを人から聴くようになった。
 
その切っ掛けとなったのは、やはりここ。
当時、垂直に上昇し循環するエネルギーの瞑想を熱心にやっていたので、同じだよなと印象に残り長いこと佇んでいた。
 
そして、彼女と一緒にタブの木を目指し斜面を上る。
雨上がりで湿っていたけど、4月に比べたら格段に落ち葉が少なく登りやすくて助かった。
 
そして、近づくと空気感がガラッと変わる。
その主がこちら。
 
 
 
以前訪れたときはいずれも目の前のペンチに長いこと佇んでいたのだが、今回は残念ながら雨で濡れていた。
でも、今回二人で来たことは、とても大きな意味があると感じる。
 
 
 
 
その後、まだレンタカーの時間があったので、やっぱり青梅駅そばのカフェ夏への扉へ。
 
 
変わらぬ佇まい。
入ると、青梅の父と母に、お帰りと歓迎された。
ただいまと返せなかったが嬉しかった。
 
 
落ち着く店内。
 
 
チーズケーキとチャイ。
4月中旬、実家に戻ることについて話したけど、直前はバタバタで来れなかった。
お別れ会をしたかったと言われ、
じゃあ今度、歓迎会をしてください、と思わず答えていた。
 
 
そして、店を後にし、河辺のレンタカー会社へ向かった。