大きなものが浮かび上がってきて、それが癒された後には、これまで生きてきたタイムラインとは違うタイムラインへシフトする。
すると、これまで生きてきたことを思い出すことはできるが、今の自分とは繋がりを感じなくなる。
これまでの人生がまるで過去生のように感じられる。
2009年7月、サトルボディーヒーリング・トレーニングに入り自分自身を癒し始めて何度も何度もそういった経験をしてきた。
しかし、4月10日に浮かび上がってきた恨みが癒されたことは、これまでの比ではない。
それは、今生生きてきた50年そのものがまるで過去生のように感じられる。
思い出そうとすれば思い出せるが、今の自分との繋がりを感じない。
そして、何もかもがマッサラになったかのようだ。
これまでずっと、この家に自分の居場所はない、そう感じていた。
しかし、一昨日実家に帰って来て、両親と過ごし、自分の中の父親に反応していたものが無くなっていて不思議な感じだった。
そして、同じように母親に反応していたものも無くなっていた。
そして、脳梗塞の後歩くことがおぼつかなかない父親と、やはり年を感じる母親を見て、
夕方、2階にある昔の自分で瞑想しているとき、この家に自分の居場所はないという感じは嘘のように消えていた。
そして、夜寝ているとき、ここに住むのもいいかもなと感じている自分に戸惑った。
今はただ生まれたばかりの子供のように滋養される必要があるのかもしれない。
何と言うか、何もかもがマッサラになってしまい、まるで子供に戻ったかのようで戸惑ってる。
本当に今生生きてきた50年のタイムラインからシフトして繋がりが無くなったようだ。
昨日、父親がデイケアに行っている間、下の妹が急遽有給を取り、母親と自分を小浜の足湯に連れていってくれた。
その時車から街並みを観ていて氣づいた。
15歳で家を出て以来、帰省する度にこの街、この道路、実家の家、何もかもが狭くて窮屈に感じたいた。
しかし、今回はその窮屈さが全く無かった。
そして、懐かしさもない。
ただマッサラな状態でそのままを観ている。
同時に、思い出そうとすれば思い出すことができる記憶もある。
本当に不思議な感じだった。
夕方、デイケアにから帰って来た父親と、これまでのことについて話すことができた。
自分を癒し続けてやっと父親に対する恨みが浮かび上がってきて癒されたこと。
それは、父親にされてきたこととは関係があるが、自分のものだったと氣づいたこと。
過去を握り締め父親を責め続けていたことは、父親にとっては戻ることもやり直すこともできないことで責め続けられていたことだったと氣づいたこと。
そして、これまで何度も人生がうまくいかなくなり父親に助けてもらいながらも、うまくいかないのは父親のせいだからと、感謝するどころか恨み続けていたこと。
恨みが癒されてやっとそれに氣づいて、とんでもないことをしていたと氣づいたことを話した。
やっと、通じ合い和解できたように感じる。
そして、さらにマッサラになってしまった。
本当に新しく生まれたかのようだ。
今、自分がどのように生きていきたいのかすらわからない。
この感じをそのまま氣づいて、認めて、受け入れている。
そして、瞬間瞬間、氣づいて、認めて、受け入れ、応答している。
