ライフナンバー33
ライフナンバー33もマスターナンバーです。
しかし、このナンバーの人たちは、他のマスターナンバーの人たちとはかなり変わっています。
ライフナンバー33の人は、大きなポテンシャルと大きな志を持ってやって来た人たちです。
それは、「出会うすべての人たちを目覚めへと導きたい」と言う程の大きな慈悲を持った人たちです。
それ故に、自ら過酷な人生を選び、自らたくさんの苦しみを背負い込み、それを超えることで目覚め、自ら身を持って体験したことを人々に分かち合うことで人々を導けるようになろうとしている人たちです。
自ら過酷な人生を選び、自らたくさんの苦しみを背負い込んだ人ですから、人生の始めの内や中盤ではその重みによって内なる光は覆い隠され、全くそのような人とは思えないような振る舞いをしていることも多いでしょう。
中には、その重みに耐え兼ね、本来持っているポテンシャルを発揮できずに人生が終わる人も多いかもしれません。
そういう意味でも、このライフナンバー33の人は、他のマスターナンバーの人たちとはちょっと変わっています。
しかし、その自ら背負い込んだ重みを一つ一つ癒し氣づきを養うに連れて、本来持っていた大きな光、大きなポテンシャル、大きな慈悲が垣間見え始めてきます。
そして、それがさらに現れ始めるに連れ、他のマスターナンバーの人たちはライフナンバー33の人を見て理解できず苛立ちを感じてしまうかもしれません。
なぜなら、他のマスターナンバーの人たちには、ライフナンバー33の人のポテンシャルの大きさがよく観えるからです。
「そんなにも大きなポテンシャルを持っているのに、なぜいつまでもそんなところでモタモタしてるんだ⁉」
そんな風に感じてしまうのです。
中には、「責任を取りたくないんじゃないか!?」「修行好きなんじゃないか!?」と思ってしまう人もいるほどです。
そして、ライフナンバー33の人が、そう言う言葉を真に受けると、自分を恥じて責めてしまいます。
しかし、それすらも魂の計画の一部なのです。
そして、さらに成熟したライフナンバー33の人は、そんな風に苛立つ他のマスターナンバーの人たちを観てこう思います。
「あなたの苛立ちはよくわかる。なぜなら、私もかつて同じ体験をしたから。
目の前にいる人が大きなポテンシャルを持っているのに遅々として進まず苦しんでいるのを観るのは辛いもの。
そして、その人をうまく導けないこと程もどかしい事はない。
そのもどかしさ、その苛立ちはよくわかる。」
「だからこそ私は、過酷な人生を選び、それを超えていくステップを一つ一つ丁寧に探究しているのだから。」
人を導くということは、自分が目覚めることよりも数十倍も難しいものです。
それは、人に教える仕事をしたことがある人なら誰もが知っていることです。
ましてや、たくさんの人々が目覚めるよう導くとなるといろんな段階、いろんな方向性、いろんな危険性を漏れなく網羅しなくてはならないのです。
それは、単に山に登るのが目的なのではなく、山全体をマスターしようとするようなものです。
ですから、他のマスターナンバーの人たちから観たらモタモタしているように観えても、実は無意識に、後に人を導くときのことを含めて進んでいるのです。
自分が目覚めたからと言って、目覚めとは何かをただ言って聞かせるだけでは、人を導くことはできないのです。
なぜなら、人はただ話を聞いただけでは、頭に知識をインプットしただけで何も変わらないのです。
人は、体験を通して初めてエネルギーが変容し変わるのです。
それに氣づいて感じて初めて理解が起こるのです。
目覚めとは何かをただ言って聴かせるだけでは、人を導くことはできないのです。
だから、苛立ちを感じるのです。
そして、苛立ちを感じるほどに、何を言っても通じなくなってしまいます。
ライフナンバー33の人は、既にそのようなことを体験したからこそ、今生は自らたくさんの苦しみを背負い込み、それを一つ一つ癒し氣づきを養うことで目覚め、自ら身を持って体験したことをもって、人々が体験し理解できるように導けるようになろうとしているのです。
自ら目覚めるだけでなく、どうやって人々を体験へと導くことができるかまで踏まえた上で進んでいるのが、ライフナンバー33の人の大きな特徴です。