3月に友人のガイドで、
すべてとの一体感を体験した。
その時、
「これこそ求めていたものだ。
これが本当の自分だ。
これを分かち合うことが本当にやりたいことだ。」
「これを分かち合うことで自分も相手も満たされて幸せになれる。」
そう感じた。
しかし、
その体験は数時間続いたものの
翌朝には失われてしまった。
それからというもの、
そのすべてとの一体感を求めて、
月一でセッションを受けながら
対象に氣づいている意識に氣づいていることを
毎日深めてきた。
すべてを掛けて。
しかし、深めれば深めるほどに
自分と言えるものは無くなり、
どうしたいのかもわからなくなり、
どうしたらいいのかもわからなくなり、
現実がどんどん崩壊していった。
生きることができなくなっていった。
それでも、これをもっと深めれば
やがてあの一体感へと戻り、
「これが本当の自分だ、
これを分かち合うことが本当にやりたいことだ。」
となり、現実を生きることもうまく行く。
そう思っていた。
しかし、現実はどんどん崩壊していった。
そして、「この先に未来はない。」
と言うことが直感的にわかった。
その事を友人に伝えたが
彼には一向に理解できないようだった。
そして、そもそも自分が
あの一体感に取り憑かれて
彼の言うことを真に受けたのが失敗だった
と言うことを理解した。
それまで培ってきたものはすべて崩壊し、
それまで深めてきたものとの繋がりも絶たれ、
現実はどうしようもない状態だった。
夜中に目が覚めた時
絶望に襲われ、外に助けを求めようにも
何も助けになるものはなかった。
これまでやってきたものはすべて助けにならなかった。
どうしようもなかった。
その時、声がした。
『今こそ内なるものに助けを求める時だ』
と。
そう、この数か月間の内に
夢に答を求める方法や
潜在意識に答を求める方法に出会い実践していて
内なる答との繋がりが強まっていた。
それは、ハート瞑想で直感的知性の声を聴くよりも
もっとリアルな感じだった。
そして、内なるものに助けを求めた。
そのまま横になっていると、
背後からスペースが拡がり、
全身が包み込まれ幸せに満たされた。
不思議なことに、
朝、目が覚めて起き上った時から
鼠径部の違和感が消えていた。
体に起こった奇跡の後も微妙に残っていたのに、
そして、3月以前にもあったのに、
それがキレイさっぱり無くなっていた。
しかし、あの
全身が包み込まれて幸せな感じは
残念なことに失われていた。
わずかにハート周辺に残っているだけだった。
そして、昨日潜在意識の使い方で耳にした丹田呼吸をすると、
ハラ、ハート、第三の目が輝いて満たされ幸せになった。
やはり、意識が体を通して現れるのに、
ハラ、ハート、第三の目、
という3つのセンターが繋ぎ目となるのだ。
それは、3月以前に既に感じていた。
しかし、3月に友人のガイドで
すべてとの一体感を体験したが故に、
「氣づきだけがある。
それには位置も無く形も無い。
氣づきと体を繋ぐものは何もない。」
と言う友人の言葉を盲信し、
3つのセンターとの繋がりを失ってしまったのだ。
それ位、すべてとの一体感には魅了するものがある。
おそらく人の欲求の中でも根源的なものではないだろうか。
それがネガティブな形で現れると、
死への欲求になるのではないだろうか。
すべてとの一体感には魅了されてしまったが故に、
友人の言葉を盲信し、
(正確には何度も訊き返した。
が、その都度否定する彼の言葉を盲信してしまった。)
体との繋がりを絶たれてしまったのだった。
結果、氣づきを深めれば深めるほどに
自分と言えるものは無くなり、
どうしたいのかもわからなくなり、
どうしたらいいのかもわからなくなり、
現実を生きることができなくなってしまったのだ。
3っつのセンターが意識と体のつなぎ目だ
ということをハッキリと理解できていないかったから、
有事の言葉を盲信し、
対象に氣づいている意識に氣づいている事を深めると、
人生を生きることができなくなるかのように
錯覚していたのだった。
この半年囚われていた呪縛から解放された。
おそらく、これは過去生でも
陥ってしまったポイントなのだろう。
それを追体験することで
今生ハッキリと理解し、
伝えることができるようになるのだろう。
それにしても、自らハマっては失敗し、
そこから復活することで、
それを人に伝える時の糧とするとは、
我ながら天晴れなものだ。
しかし、ちょっと、いや結構しんど過ぎる人生だ。
なんてチェレンジングな計画をしてしまったんだろう。
先ずは、3つのセンターを活性化して
満たされて幸せで在ろう。
すべてはそれからだ。