ほぐすのではなく、結果ほぐれる。
することではなく、在ること。
同じことをしているように見えても
この違いは途方もなく大きいものです。
例えば、体に対するアプローチにおいても、この違いは大きな違いをもたらします。
思考は、ほぐそうとします。
しかし、氣づきは正しいと一緒にいて
感じています。
体が固まるには固まる原因があります。
ですから、単に体に触れてほぐそうとしてもなかなかほぐれません。
やっとほぐれても、固まる原因のエネルギーが残っていたら、体は再び固まります。
体がほぐれても、固まる原因のエネルギーが残っていたら、感情が沸き上がってきたり、違和感が沸き上がってきたりします。
しかし、ただ氣づきから触れて、そこにあるエネルギーと一緒にいて、それを感じていると、そのエネルギーは、溶けて消えていきます。
すると、体もまたほぐれていきます。
そして、筋肉と筋肉、筋肉と腹膜、内臓と内臓などの癒着もほぐれ、それぞれのパーツが本来の位置へと戻っていきます。
体の構造を知らなくても大丈夫です。
なぜなら、それぞれのパーツが固めていたエネルギーから解放されると、自然と本来の場所へと戻っていくからです。
体には体の叡知があります。
エネルギーでアプローチしていても、ほぐそうとすると、結果ほぐれるのとでは全く違います。
ほぐそうとすると、筋肉などが何でもかんでもふにゃふにゃになってしまいます。
すると、筋肉同士のバランスなどもふにゃふにゃになってしまいます。
氣づきからただ触れて感じていると、エネルギーが溶けて、体もほぐれていきます。
その際は、しなやかを保ったまま、固まりがほぐれていきます。
そして、筋肉同士のバランスなども自然ととれていきます。