内なる旅を進むに当たって、奇跡と同じように陥りやすいポイントが他にもあります。
それが、修行です。
何もせず、周りの人や状況に流されるままに生き長らえるより、修行した方が断然いいです。
でも、修行はマインドが作り出したものなので、ある程度までしか進むことができません。
なぜなら、私たちは、
本来の自己である無限なる意識(光)が
体を通して現れたものであり、
思考でもなく、体でもなく、感情でもなく、
チャクラでもなく、3つの丹田でもないからです。
しかし、思考は、
体を浄化したり修練することでそれへ辿り着けると考えたり、
チャクラを整えたり育むことでそれへ辿り着けると考えたり、
3つの丹田を育むことでそれへ辿り着けると考えたりします。
そもそも、修行するということは、自分はそうではないという否定があります。
その否定を否定するために修行しても、そうではないという現実を作り続けます。
また、修練するということは、思考が作り出したことですから、その思考がたどり着くことを妨げています。
だからと言って、体や、チャクラや、3つの丹田はどうでもいいと言う訳でもありません。
なぜなら、私たちは、無限なる意識(光)が体を通して現れたものですから。
自分を変えて何かになろうとするのではなく、
本来の自己である無限なる意識(光)を覆い隠しているものを癒してあげればいいのです。
そして、本来そうで在るもので在ればいいのです。
それは、どこか遠い未来に在るのではなく、
今この瞬間、内側深くに在るのです。
それを目指し修行することで、それから遠ざかってしまいます。