私たちは、思考に同一化し、本来の自己との繋がりを見失っています。
そして、本来の質との繋がりも失っています。
ですから、私たちは、愛・勇気・自信・受容性・信頼・直感 といった本質も見失っています。
そして、その空虚さを埋め合わせるように、外側に偽りのものを作り出しています。
信頼とは本質であり在り方なのですが、私たちはそれも誤解して使っています。
私たがよく、信じると言うとき、それは
、信頼という本質ではなく、期待という行動になっています。
Beingであるはずの本質が、Doingへと歪められています。
つまり、私たちが信じると言う時、
それは誰かが私の必要を満たしてくれると、
期待しているのです。
しかし、そういった期待は、いつも裏切られるのです。
なぜなら、私たちは誰かの必要を満たすために生きているわけではないからです。
私たちは、自らの本性を発見し、それを表現し分かち合うためにやって来たのですから。
そして、期待を裏切られることは、恩寵だ。
それは、自らの中にある傷や感情や間違った信じ込みを浮かび上がらせてくれる。
それに気づき、受け入れることで、変容されたなら、
意識はさらに内側へと拡がり、
本質に繋がることが起こる。
そして、本質に満たされたなら、
人に期待する必用がなくなる。
それは、人に期待し求め会い奪い合う次元から、
満たされ溢れるものを分かち合う次元へとシフトする。