すべてはひとつである
それは、二元性を否定することではありません。
二元性を否定する必要はないのです。
その両極を含んでいるのです。
もし二元性を否定するなら、一元ではありません。
すべてを含むことで、本来ひとつであるところに戻っていくのです。
何も切り捨てる必要はないのです。
それは、思考をも否定しません。
思考を含み、含むが故にひとつであり、同時に超えているのです。
思考を否定するなら、分離を生み出しています。
思考から見ると、思考によって分離が作り出されているように見えます。
しかし、思考によって分離が作り出されているわけではありません。
思考によって分離しているように見えるのは、結果なのです。
その分離は、蓄積された感情によってもたらされています。
感じることを避け抑圧してしまった感情は、無くなったわけではなく、エネルギーフィールドの中に押し込められています。
たくさんの押し込められた感情は、壁のようになり分離を生み出しています。

感情を避けた人は、壁の外側にしか居場所がありません。
そこには、思考しかないのです。
故に、人は思考に同一化し、一元性を離れ、二元性の中だけで生きているのです。
源である意識から分かたれた結果、思考が主人となっているのであって、思考が悪いわけではないのです。
思考は、感情に気づくことも出来なければ、感じることもできません。
感じているつもりで、実際には感情について考えています。
ましてや感情を癒すこともできません。
思考は、感情が活性化されれば怒りに引き込まれ、感情と同一化し我を見失ってしまいます。
感情は、思考を活性化します。
活性化された思考は、ストーリーを作り出します。
ストーリーは、更に感情を活性化します。
活性化された感情は、更に思考を活性化します。
これが苦しみのサイクルです。
このサイクルに気づくだけでは、充分ではありません。
なぜなら、感情は気づくだけでは無くならないからです。
あるとき時は、このサイクルに気づくことで違う選択をすることができるかもしれません。
しかし、更に強く感情が活性化されれば、瞬く間に感情に引き込まれてしまいます。
感情は、癒しを必要としています。
感情が癒されたなら、溶けて消えていきます。
すると、思考に燃料が注がれなくなります。
そうなれば、自然と思考はおとなしくなります。
思考がおとなしくなれば、思考に気づいている意識に気づいていることは容易になります。
また、感情の壁が癒されるにつれ、意識が目覚めてきます。
意識が目覚めてくるにつれ、意識が主人となり、思考は本来の役割である道具となります。
本来の自己とは、私の否定によって至るものでもなければ、私を取り除く必要もありません。
本来の自己とは、私に気づいているものであり、私を含んでいるのです。
それは、対象に気づいていることに気づいている意識です。
何かにかき乱されたとき、そこには活性化過去の傷や感情があります。
活性化された感情が、思考を活性化し、
活性化された思考がストーリーを生み出し、
ストーリーが更に感情を活性化し、
更に活性化された感情は、更に思考を活性化し、
このサイクルは、あたかもエゴが存在するかに見えます。
エゴが存在すると考えるなら、あなたは混乱に陥ります。
エゴに気づくだけでは充分ではありません。
エゴに気づいた!!
エゴとは違う選択をすることができた!!
と喜ぶなら、足元を掬われます。
なぜなら、エゴとは実際には存在しないからです。
実際にあるのは、感情と思考です。
思考と感情は、互いに活性化しあっているのでひとつのものであるように見えるのです。
感情は、気づくだけでは無くなりません。
更に強く感情が活性化されれば、簡単に感情に引き込まれてしまいます。
感情は、気づくだけでは充分ではありません。
気づくだけでは、無くならないからです。
感情は、癒しを必要としています。
癒しは、することはできません。
それは、起こることです。
ハートに繋がることで、ハートの愛とケアで癒しが起こります。
感情が癒されたなら、感情によって内側に隠されていた愛・信頼・勇気・明晰性・喜び・慈悲・忍耐などの本質が輝きだします。
すると、感情からの反応で人生を作ってしまう状態から、
本質から応答し、本質を表現し分かち合う人生へとシフトします。
本質を生きるとき、幸せと充足感に満たされます。
その時、感情をかき乱された出来事はギフトだったと気づくのです。
感情が癒されたなら、苦しみのサイクルが機能しなくなります。
そうなると、思考はおとなしくなり、思考に気づいていることに気づいている意識に気づくことが容易になります。
感情の壁が癒されたなら、自分というものがひとつになります。
それは、自分自身のエネルギーがひとつになることで、同時にすべてとひとつであるのです。
直感的知性というのは、思考とは違います。
直感的知性は、何の脈絡もなく、必要な瞬間にやって来ます。
それは、思考の声よりも小さく、主張しません。
それは、独特の味わいを持っています。