思考を観察するのではなく | この星に愛を分かち合いに来た仲間たちへ 

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ソウルヒーラー、ツインレイセラピスト。
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悟り系の本や瞑想の本で時折、「思考を観察する」とか、「思考の虚偽を見破る」 ということを目にします。

が、無理な話です。


なぜなら、私たちは、思考に同一化しているからです。

思考が、思考を観察することができるでしょうか?



思考は、意識の一番外側にある薄皮のようなものです。

それは、線ではなく、無数の点の集まりです。

絶えず、点から点へと動き回っています。

思考は、感情に突き動かされると、無意識になり外側の対象へと向かってしまいます。



思考に同一化した状態で、思考を観察しようとしたところで、

思考について考えている別の思考に同一化するのが関の山です。



思考を観察するためには、

先ず、自分が思考ではないことを発見しなくてはなりません。



思考を観察するのではなく、

思考に気づいているものを見つけなくてはなりません。



思考に気づいているのは誰か?

と、意識を内側に向けなくてはなりません。


思考のすぐ内側には、感情の層があります。


感情に阻まれている限り、いくら悟りについての知識を集めたところで、何の役にも立ちません。



あなたは今、この文字を読んでいますね。

では、目を通してこの文字を読んでいるのは誰ですか?



私は誰か?

この問いが、何十年瞑想したとしてもたどり着けないところへと運んでくれます。