風邪がなかなか治りません

こんな時の為の、隠しアイテム

アマミちゃんから頂いた、記事を使わせて頂きます <(_ _)>




『自他の魂への祀りあげ・拝み出し』


インチキ異次元パワーへの道、その③は、「祀りあげ」と「拝み出し」です。(
)

「祀りあげ」は、神のごとくに尊いと見る目線の、私の造語です。


どんな方であれ、神の分霊であり、神の子としての尊厳を有しています。

それは自分自身もそうですよね。

神の分霊(わけみたま)である自分や他人の尊厳を祝福し、
尊いものとして大切に立てて接する姿勢が、「祀りあげ」だと感じます。


そして「拝み出し」ですが、

これは神の分霊である自他の尊厳を信じて心から礼拝することにより、
神の属性を引き出し、また生かしのばすことではないかと感じています。


それには、常に手を合わせるがごとくに感謝と祝福と尊敬をもち、
神様のように思うことで、


自他のなかにある神の属性をイメージとして思い描いた姿を
現実化させていくというある種の導きにもなるのではないでしょうか?


自分の我を抑え、つねに下座と奉仕をこころがけつつも、

自他が神の分霊であることを心から尊び、祀りあげ、

その神の分霊としての使命の顕現と成就を祈り拝む。

ここに、自他の神性を輝かせる「信仰」の
もう一つの霊的パワーがあるのではないかと思います。


すべての人には、「神様スイッチ」があるのではないかと思います。

その神様スイッチは、人によって強弱や発動条件や
発動の長さなどが違いますが、すべての方にあります。


そのスイッチを押すことが、「祀りあげ」と「拝み出し」であり、

それを、一言で「信仰」というのではないかと感じます。

つまり、信仰とは絶対神にのみ向けるものではなく、

絶対神という名の魂の父に向けるように、

自分をも含めたすべての兄や弟や姉や妹たちに、
向ける思いではないでしょうか?


魂の父は、自分だけへの信仰をよしとされてはいません。

父に向ける信仰が最上のものであればこそ、

父に向ける信仰という愛を、

父が愛されるすべての家族にも向けてみたいですね。

「私は、私自身を神として信じ、

また、あなたを神として信じ、敬い、

あなたの神としての無限の力を信じています」と、


互が拝み合う世界を目指すなかに、

異次元パワーがのぞむのではないかと、思ったりしております。

 



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