心に満ちるもの



あの頃



千駄木
上野
三ノ輪の町

どこかの家の
お父さんの
自転車の帰り道

スーパーの
コロッケ

並ぶ
大きな
お好み焼き

夕方の匂い
下町に行き交う人影

横断歩道の信号
ゆっくり変わる


あの日

わたしはひとりだった

朝,出勤した園庭には
桜の花びらが
音もなく
落ちてきて

優しい
優しい
時を広げた

朝から
暗くなるまで
エプロンに
バンダナをして

園の中で
働いていた

わたしは

小さな子どもたちを抱きながら
小さな子どもたちを笑わせながら
わたしはわたしを抱き
わたしをあやしていた

人肌に整えられた
白いミルクに浮かぶ
白いパン

澄んだスープに浮かぶ
細い麺

持ちやすく茹でた
人参

赤ちゃんが食べるその食物は
人間が
最初に味わう
甘さだっただろう


そのすべてが
わたしの心に沁みた


雪の降る日には
下駄箱横の雪かきをした

大きなホールの廊下から
チューリップ組の女の子がきて
自分のオーバーをわたしに
差し出す

それは
柔らかな
マント
薄紫色の裏のついた
紺色の
マントだった


もう
それが着られないほど大きなわたしは

ただ
嬉しくて
暖かくて
幸せだった

生まれて一年半の幼子が思う
誰かの寒さ

それは
きっと
痛いほどの
寒さだったに違いない


毎日
毎日

思いやりや
ユーモアの
藁に包まれて

雪の日も

猛暑の夏も

薄寒い秋も

緑色芽吹く春も
幸せだった


『幸せ』は
ただ
そこにあった

可憐で
壊れやすい
その
お互いの
小さな心に
息づいていた


くるみの殻に
スミレと
ピンクの
名もない花を入れて

わたしにくれた
子どもの
贈り物は

大人の乾いた
傷でうずく心を
覆ってくれた


曲がりくねる
園庭の
道を通って

門をくぐり

夕闇に光る
手ぬぐい屋
扇子屋さんを通り

パン屋さんの笑顔を見て
会釈して

改札を入る


今日も
いい一日でした

あなたのおかげで

あなたと
そして
あなたのおかげで


わたしは安堵して
家路につく


上野
恩寵公園
蓮の花

賑わう駅で乗り換えて
わたしは家に向かう


まだ上手に話せない
つたない言葉の幼子の
生まれたばかりの微笑みに

こんなにも満たされて今日が終わる


わたしは
あなたに会えて幸せ


あなたと
そして
あなた

あなた
大好きな
あなた

あなたにも言いたい

心いっぱいに


ありがとう