宗教なるものについて、西洋と東洋では根本的な違いがあるように感じる。

日本の神道、中国の道教は自然崇拝や生活習慣をもとにしたもので、最初から教義が体系的であったわけではない。悪く言えばごった煮のようなものだと思う。

なんだかよくわからないけど、なんとなく従ってる?そんな感覚だ。


日本で神道と他の勢力と激しく対立したのは江戸時代の反本地垂迹と明治時代の廃仏毀釈、戦後の国家神道廃止だけである。これは他宗教の信者を圧迫するものではなかった。

ご存知のように日本では鳥居をくぐる人でも平気でお寺へお詣りする。神道には他宗教信者を排除する教義はない。


仏教はどうか。

インドにお釈迦様がいて、教えを実践していたがヒンドゥー教の圧迫を受けて教えは東遷し、東アジア、東南アジアで流布した。東南アジアの大乗仏教は僧を崇拝するがそれ以外は、他の宗教に対して緩やかな教義である。東アジアの小乗仏教の中には他宗の信者を一切認めない宗派があったり、宗教戦争があった過去はあるものの、そういった宗派は遂に広まらなかった。


道教は、道士への迫害はあった。しかしこれは道士の影響力を嫌った政治的なものであり、道教の寛容性を否定する理由にはならない。


思うに東洋的な宗教は、ある教義を頑なに守って他宗教を否定するのではなく、生活の中に溶け込んだぼんやりとしたもので、信ずるという感覚は薄いのではないだろうか。日本ではキリスト教の信者がどうしても30万人を超えなかったので宣教師が不思議がったのは有名な話しである。

東洋的な教えはふわっとした雰囲気を指すのであって、雰囲気の中に入ろうが出ようが特に問題ない寛容性が特徴であるように思える。