最近鉄道での人身事故による運転見合わせに遭遇する回数が頓に増えた気がする。


私の帰りも遅くなる訳だが、飛び込んだ人(怖かったろう)、ご遺族、鉄道会社の人、乗客みんないい思いはしない訳でどうにかならないかと思う。


先日は人身事故で振替輸送で大迂回して元の路線に辿りついたら、いつ再開するのかはっきりせずに怒り出す人、二転三転するアナウンス、一向に来ない電車、溢れ返る駅構内。阿鼻叫喚の中、運転再開した電車に乗れとのアナウンスだったので来た電車を見たらフロントガラスが粉々に大破していた。

えっこれに乗れって?

車内は青ざめた女性やなんともいえない表情をした男性でいっぱいだった。つまり高速で人を轢いた電車に乗れということだ。

それはないだろう鉄道会社と思ったが、運転士が交代する様子もなく、表情は見えなかったが徐行しつつ車庫のある駅まですし詰めの人を運んでいた。

ある意味すごいプロ意識というべきか。


以前のブログを読んでいただいた人はもう少ないと思うが、あの頃、ホームや踏切で、身体が、脚が線吸い込まれていく感じと実際に進み出していた毎日だった。怖いと思いながら自然と?身体が動いてしまうのだ。

この感覚は同じ境遇にならないと体感できないと思う。そこには理屈とか感情を超えた世界があって、向こう側というのか、渉ってしまいそうになっていた。何時間でも線路際に立っていた(相当怪しかったろう)。


それが今は迷惑だ、鉄道自殺だけは止めろとか思うのだから不思議という他ない。


何が言いたいかというと、人の心は理屈や感情を超えた揺れ方をするから、死んだ人の気持ちは死んだ人にしかわからない、それが死んだ人の特権じゃないかと思ったりしている。ただ、私達はその人を思うことで、その気持ちに近づくことはできるだろうと思う。


それって実は生きている人同士でも同じじゃありませんか?


いつまでも大切な人と、心のそばに居たいですね。