著名な歌舞伎役者の無理心中事件が報道されている。

無理心中と決めつけるのはまだ早いとか、故人の冥福を祈るとか、SNSで梨園の闇は深いとか、週刊誌の報道内容がとかいろんな反応があるようだ。(私はTVは見ないので目に入るのはネットの記事だけである)


コメントや論評したくなる人たちの気持ちもわからないではない。

けれど私は、無理心中を図った人や、毎日ニュースになる自殺他殺の本人や加害者?の気持ちはもっとよく分かるのである。


人は世間が思ったよりいとも簡単に絶望の淵に陥る。

自分を殺してしまいたい衝動?や、もっと悩み考えた末の自殺や、恨みや絶望が募った末の他殺は、本人の動機が、「他人事の論評」よりも私の脳中に入ってきやすい。言葉ではなんとも説明しがたい。それは気持ちの問題だからか。理屈、少なくとも世間一般的に云う理屈ではないから理路整然としたコトバにはならないのだ。


こう書くと、反論やら否定的なコメント、メッセージが来るかもしれないけれど、私の本当の「気持ち」を書いているだけだから仕方がないと思う。


(自分自身を含めて)人を殺す動機?

動機なんているのだろうか。

そう思った瞬間に人は理屈など考えずに行動する生き物だと思う。


殺人を肯定するのかとも言われそうだが、理屈で話しているのではないから否定するとは言いかねる。肯定するのかと聞かれたら、そうだとも言える。

ただ、肯定とか否定とかではなくて、衝動の問題だと言いたい。


衝動だとするといかに防止策を講じても解決しないのではないか。殺人罪で裁いても「反省」や「更生」などしない人もいるだろう。私もそうである。

世間とは全くかけ離れた世界に沈む人もいるんだよと。


そんなら日本や地球から出ていけと言われそうですね。でもロシアのような国もあって、そこでは国際的な理屈は通用していません。


どこまでが世間一般的な理屈が通用するのか、この機会に考えてみても良いと思った。