以前から映画とか、自分が最後に家を出る時に

ストーブの電源切ったかな・・・とか

ヘアアイロン、ちゃんと電源切ったかな・・・というのは

 

二進も三進もできない状態になって頭の中をグルングルン回るという

どうにもできないんだから、とか

大丈夫だってって言い聞かせて過ごしてきてたんですけども。

 

昨年秋くらいにヘアアイロンを自動的につけっぱでも電源切れるタイプに買い換え

一つ安心を手にいれ。

 

ストーブ消し忘れはガッツリ電源切る、コンセント抜く、部屋を出る時目視確認をする

という、絶対きった、という確認を取るように致しました。

 

あれ、大丈夫かなって頭をよぎっても

アイロンは絶対切れるから安心。

ストーブは部屋出る時キレてた!確認したもんで安心。

 

・・・ま、何が言いたいかというと

こういうちっっっさい自分の不安を、今まで無視してたなあと、

安心するようになってしみじみ思った次第なんです。

こういう些細なことだって不安を解消しようとしない人になんて

やりたいことが湧いてきたって無視されるよねって諦めちゃって

知らせてくれやしないわな。と

 

MOMEDのアイドルをムーブしてみて

殆自分の諦め癖に気がついちゃって。

他の方の湧いてきた思いのシェアを見てたら

誰に対してこういう思いだったみたいなものが多数で。

確かに私も家族、姉とか母とか父とか亡くなった方の姉とかばーちゃんとか

なくはないんだけど

他の人、友達とか他人?に対してそこまでのってどうにも湧いてこなかったんすよね。(まだ潜んでるかもしれないけど)

 

それの原因が重度の諦め癖だわと

どうせ死ぬのにっていう。

やってどうすんのっていう、恥かいて終わってなんなのよっていう。

 

 

あと、これは末っ子特有?かもだけど

模倣。

姉とかがやって怒られたことはやらない、真似して同じようにできることが好き、

料理のレシピやテレビの手順通りにやって美味しくできたら嬉しいというか安心なのかなあ。

正解で安心できる、って思ってるみたいで。冒険しない。

前はうまく?見本通りにできないとめっっっちゃ不機嫌になってキレてた。自分に。

 

だから下の姉が死んだり、上の姉とカーさんの反抗期のバトルや、ばーちゃんがボケて大変だったり、父の商売が失敗で借金で

夫婦仲が大炎上で離婚でという家庭内のアレやこれや

 

全部私やりたくないわってシャットアウトしたんすよね。

やらなきゃいけないことみたいに受け止めてたんだわって。

自分の人生で家族作ってこんなこと味わいたくないってピシャッと。

 

自分がやりたいというより

失敗したくないという思い。

特に家庭を作る、人と出会って別れがあるなら出会わないみたいな。

まさに子供な思い込み。そのままストップしちゃってたんだなと。

自分には力がないって

こういう出来事、旦那の借金やら家族の病気やら

もう体験したくない!!!!って止まっていたかったんだわと。

 

もう大丈夫だよと

いやまだ半信半疑だけど

大丈夫、だと思うよって

 

いや、大丈夫じゃなくても進んでく

それで大丈夫だったって知っていくしかないんだな。

 

またもとっ散らかったまま終わる。