8/❸/⑵/1章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 東にはヴォタディニ族(訳注1)がいた。ローマ帝国の忠実な同盟部族で、その首都はおそらくロジアンのトラプレイン・ロー(訳注2)の大きな丘の上の町であっただろう。


 西にはかつてクール・ヘン(Coel Hen)(童謡「オールド・キング・コール」のモデルとなった人物)によって支配された王国があった。(訳注3)何人かの首長が彼の子孫だと主張しており、その中にはレーゲド国の支配者もいた。レーゲド国の版図は、おそらくギャロウェイのダンラギット(訳注4)を含んだであろう。しかし、一時はカーライルをも超えていた。彼らもまた自分たちの先祖をローマ人だと主張した。すなわち、マグヌス・マクシムスといい、383年にブリテンより兵を連れて来てローマ皇帝の称号を得ようとした人物である。


 さらに北には、ダンバートンもしくはストラスクライド王国があった。その王国は、聖パトリックの時代にコロティクスもしくはセレティックという者によって支配されていた。彼のことを聖パトリックは、アイルランドで奴隷狩りをしているとして非難した。王国を悩ませた数々の内戦は、一部にはキリスト教対異教の争いに起因していた可能性がある。

 
 
(訳注)

1.トラプレイン・ロー(Traprain Law)は、スコットランド、イースト・ロジアンのハディングトンの東6キロメートルの位置にある丘である。位置は以下のところで確認されたし。

 
2.ヴォータディーニ族に関しては、以下の動画はどうだろうか。まだよく見ていないが、何となく面白そうなので載せておく。イメージが広がります。
 

 

 

 
3.クール・ヘンは伝説上の王で、一説にはブリトン人のいくつかの部族の先祖とされる。このクール・ヘンがマザーグースの童謡で「コール王」として歌われている。下にコール王の歌の一例を掲げておいた。よかったら参考にされたし。

 

 

 

 また、Wiki, Jpn, 「コオル老王」も参考になる。クール・ヘンは実在したのではないかといわれていて、いくつか説があるようである。そのうちの一つが、「北ブリテンのハイ・キングだった説」である。この本の著書のマッキーは、これを採っていることがわかる。


 北ブリテンのhigh king説


 北部ブリテンのほとんどのケルトの王、及びウェールズの王は彼の末裔である。例えばレゲド王がそれに当たる」(引用終わり)


4.ダンラギット(Dunragit)の位置は下記で参照されたし。今日のスコットランドのダンフリース・ギャロウェイ・カウンセル・エリアにある。


https://en.m.wikipedia.org/wiki/Dunragit