2/❶/⑵/1章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 ピクト人が、ガリア語の形を痕跡としてもつPケルト語(ウェルシュ語、コーニッシュ語、ブリトン語の母語)(訳注1)の一形態を使用していたことは確かなことである。しかし、現存している数少ない断片的証拠から明らかなことは、ピクト人はもう一つ別の言語を使用しており、それはおそらくインド・ヨーロッパ語族とは無関係な言葉であり、現代のヨーロッパの言語ともあまりにもかけ離れているので、私たちには理解不能であるということである。手短にいえば、ピクト人はさまざまな民族から成る複合体であった。

 

 スコット人は、ピクト人のことを「クリーニー(Cruithni)」と呼ぶ。(訳注2)「クリーニー」は、Qケルト語(ゲール語、アイルランド語、マンクス語の母語)(訳注1)で、(Pケルト語の)「プリタニー」もしくは「ブリトン」に相当する。(訳注3)

 

 そして、ピクト人がスコットランドにもっとも初期に住んでいた民族であったことは間違いない。彼らが別個の民族であったことは、彼らの顕著な「シンボル・ストーン」と、王家における母系血統の嗜好からもうかがえる。

 

 スコット人はたしかにアイルランドの住民の一部に「クリーニー」という名称を与えたが、しかし、スコット人はクリーニーの中にすべてのピクト人を含めたが、すべてのクリーニーがピクト人だったわけではない。

 

 ビード(訳注4)は、ピクト人は北ピクト人(山岳地帯を越えたところに住んでいる)と南ピクト人とに分かれるといっている。たしかにコロンバ(訳注5)は、565年頃、インヴァネスの付近の砦にピクト人の王を見つけている。しかし、あとの時代には、ピクト君主国の核心はストラスモアやパースシャーにあった。最終的にはスコーンが彼らの儀式の中心になった。

 
 
(訳注)
 
1.Pケルト語とは、インド・ヨーロッパ語における /kw/ の音を /p/ の音で使っていたケルト語の一派を指し、ウェールズ語、コーンウォール語、ブルトン語が含まれる。これに対して、アイルランド語、ゲール語、マンクス語などは、/p/ の代わりに /q/ の音を使っていたため、Qケルト語という。(ref:Wiki, Jpn, 「Pケルト語」)
 
  Pケルト語の特徴は次に掲げる動画の「4」のところで確かめてほしい。(1分13秒後のところ。)「4」を表す単語が、ウェルシュ語、コーニッシュ語、ブルトン語では「P」で始まっているのがわかる。これがPケルト語である。
 

 

 

2.クルーニー(Cruithni)

 

 「クルーニー(Cruithni)」は、古アイルランド語の「クルーシン(Cruthin)」の中アイルランド語における形。現代アイルランド語では「クルーニヤ(Cruithne)」になる。クルーシンは中世初期のアイルランドの人々のことで、ピクト人のことも指した。「クルーシン=ピクト人」なのか「クルーシン>ピクト人」なのかは学者の間で議論のあるところらしいが、クルーシンはアイルランドの一部の人々のことを指すこともあるようなので、クルーシン>ピクト人でよいのではないか。(ref: Wiki, Eng, 'Cruthin')

 

3.ローマ人によって「ピクト人」と呼ばれ、アイルランドのゲール人によってQケルト語から「クルーニー」(これをPケルト語に訳すと「プレタニー」となると考えられる)と呼ばれたピクト人は、ブリティッシュ・アイルズに「プレタニア」という名前を与え、そこからラテン語の「ブリタニア」が生じた。

 
 (訳者メモ)「ブリタニア」という言葉はラテン語だが、それはもともと「プレタニア」というケルト語(それもPケルト語)だったのですね。ピクト人が使っていた言葉です。驚きです。
 
4.ビード:ベーダ・ヴェネラビリス(672or3-735)のこと。イングランドのキリスト教聖職者。現代英語では「Bede」と綴られ、「ビード」と発音される。主著は『イングランド教会史』。(ref: Wiki, Jpn, 'ベーダ')
 
5.コルンバ(521-597):アイルランド出身の修道僧で、スコットランドや北部イングランド布教の中心となったアイオナ修道院を創設した。(ref: Wiki, Jpn, 'コルンバ')