2/⑴/1章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 中世のマッパ・ムンディ(中心にエルサレムがあって、周辺が海になっている地図)では、スコットランドは天国とほぼ対角線上の反対方向にある。(天国はどうもセイロン島の近くにあるようだが。)地中海地域が文化の中心であった何世紀もの間、スコットランドは文明のメインストリームからはるかに離れたところにあった。大きな形成要因(例えばローマ帝国やキリスト教、ルネサンスなど)は、スコットランドには比較的遅れて到達し、しかも、影響力が弱まったうえでやって来た。さらに、これが重要な点であるのだが、これらの要因は多くの場合、まずイングランドに到達し、同国を富ませ、しかるのちスコットランドに到達したのである。そして、南の王国(イングランド)が北の隣国(スコットランド)を従わせようとやって来たとき、前者の武力は単に優勢であっただけでなく、文明の発展に伴うさまざまな測りがたい価値のうちのいくつかを有して来たのである。

 (訳者コメント)

 イングランドとスコットランドが戦うとたいてい前者の勝ちですが、それはイングランドのほうが先にルネサンスの成果などを取り入れてしまうからなんですね。どうしていつもスコットランドのほうが負けるのかわかったような気がしました。