3/⑴/5章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 王室がこのように立て続けの不幸に苦しみ、幼君が続く中で、バロン(封建貴族)は強かった。スコットランド北西部と島嶼部では、ドナルド族の族長が4代にわたって、国王からほぼ独立した権力をふるい続けた。(同族の族長は、1354年頃に「ロード・オブ・アイルズ(島嶼公)」を名乗り始めた。)南部では、ブラック・ダグラスがグッド・ロード・ジェイムス以来の名声に輝き、1371年には実際に王位に名乗りを挙げた。ブラック・ダグラスは、対イングランドでリーダーシップをとることによって、力と名声を増やしていった。2代目ダグラス伯は、オタバーンの戦いに勝利したが、そこで彼は殺された。4代目ダグラス伯は、勇敢であったが、運のない「タインマン」(古スコットランド語で「敗者」)であった。彼は1402年にホミルドンで、1403年にシュルーズベリーで戦うがいずれも負けている。シュルーズベリーの戦いでは、ホット・スパーの助太刀をしていた。(シェークスピアの『ヘンリー4世』を観よ。)1448年にサーク川の戦いで大勝利を収めたのは8代目ダグラス伯の弟であった。