2/⑸/9章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 ジェイムスの名声は今回の事件で(おそらく不当に)傷つけられ、さらに、妻との関係は雲行きがあやしく(アンはルスヴェンたちと懇意だった)、また、国庫はほとんど空っぽで、スコットランドを軍事的に強い国にしようとした彼の試みは不首尾に終わり、ジェイムスには心配の種が尽きなかった。しかし、それでも公文書の中に見受けられるようなイングランドとの関係においては、ジェイムスはほとんど懸念がなかった。彼はスペインが攻めてくるぞという話にはまったく乗らなかった。また、ボーダーズ地方を服従させようとして、自らその任に当たった。さらに、荒くれハイランド人たちに、アイルランドにおけるエリザベスの代官を助けるように申し入れた。彼は、イングランド女王を自分と仲間の君主として扱っているふりをした。間違いなく彼の自信は、セシルが自分の味方であることを知っているところから来ていた。たしかに、証拠から明らかなことは、その有能な国務長官(セシル)はそのエリザベスの後釜としての有力プロテスタント候補(ジェイムス)とひそかに通じ合っていたので、ジェイムスの権益を推進したということである。そして、そのやり方たるや、彼(セシル)が、ジェイムスはエセックスと関係があると知ったとき、あるいは、そう疑ったとき、彼がジェイムスに対してとったいぶかしげな態度とは奇妙なコントラストを成していたのである。(訳注1)


(訳注)

1.エセックス伯ロバート・デヴルーは、国務長官ロバート・セシルと権力を争った。前者は、スコットランド王ジェイムス6世を味方につけようとした。(本ブログ「7/⑵/9章/スコ史」参照)たぶん、その時、セシルはジェイムス6世にいぶかしげな態度をとったのだろう。しかし、ジェイムス6世はエセックスにはなびかなかったようである。(←ちょっと自信ないので、今後あらためて検討。)そのうち反乱を起こして、失敗して、処刑されてしまった。そのあとセシルは、やはり、次のイングランド王位を継ぐのはマーガレット・テューダーの子孫であるジェイムス6世がふさわしいと考え、エリザベス女王がまだ存命の頃から、ジェイムスといろいろと連絡をとりあうようになる。