6/⑷/9章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 しかし、聖職者たちは決してジェイムスに全幅の信頼をおいたわけではなかった。彼らのジェイムスに対する信頼は、彼の良心の呵責を知らないやり方、および、1599年に発見された『バシリコン・ドロン』から明らかにされた彼の絶対者的な志向の両方によって揺るがされた。『バシリコン・ドロン』は、息子のヘンリーに対する指南書としてジェイムスによって書かれたもので、わずか7部だけ刷られたものである。その中でジェイムスは、「国王の職務たるや、聖と俗の間にある混合職務である」と主張し、自分に「至高性」を主張することを許すような非常に高度なドクトリンを採用している。そして、1600年にモントローズで開催された教会総会では、新しいビショップ(主教)の権限を一連のただし書きで制限する試みが行われたが、聖職者の抵抗は時すでに遅しであり、効果がなかった。