4/⑴/9章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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熱心なローマ・カトリック教徒は、ヘンリー8世は異端というよりも分派的であり、エリザベス女王の宗教問題の解決は、君主が教会の首長であることのほかは古き慣行とさほど変わらず、したがって、メアリー1世時代にカトリックだったイングランドの聖職者の90パーセントから受け入れられ、そして、エリザベスは、その生まれからしてプロテスタントとして振る舞わなければならなかったが、実はピューリタンのことは好きではなかったということを記憶していた。彼らからしてみれば、忠誠をそう簡単に変える国民は、「センペル・エアデム」(訳注1)に対抗するための宗教的確信をほとんどもっていないように思われた。カトリック聖職者の間では、とりわけイエズス会士の間では、そして、イングランドから亡命したカトリック教徒の声を聞くことができる政治サークルの中では、大きな期待があった。それは1600年に教皇クレメント8世によってその小勅書(breve)で明確に述べられたもので、「神がその不可解なご意思でかくも長きにわたって君臨することを許したあの女性を除去されるとき、次にイングランドの王座に座るのは良きカトリック教徒であり、真の教会の息子であろう」という期待であった。


(訳注)

1.Semper Eadem:"Ever the same"。「常に同じ」。不易。エリザベス1世の座右の銘。(motto)