2/⑴/9章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 イングランドの王冠を手に入れることは、ジェイムスの究極の望みであった。ゆえに彼は、スコットランドの政策に影響を与えられるようになった瞬間から、すべての努力をこの目標に傾注した。しかし彼は、当然の成り行きとしてイングランド国王になれるわけではなかった。スコットランド人は、イングランドでは外国人であった。しかも、不人気な外国人であった。さらにイングランド議会は、国王が遺言によって王位継承を定められることを認めており、ヘンリー8世の遺言は、姉のマーガレットの継承権を否定し(ジェイムスはそのマーガレットの子孫だった)、妹のメアリーの継承権を認めていた。(メアリーから二つの高貴な家柄が生まれる。しかも、どちらも女系であった。(訳注1))たとえヘンリー8世の遺言を無視したとしても、ロード・ダーンリーことヘンリー・スチュアートの弟、5代目レノックス伯チャールズ・スチュアートの娘アラベラ・スチュアートがいた。(訳注2)アラベラ・スチュアートは、外国生まれという要素に阻害されないマーガレット・テューダーの子孫であった。(訳注2)また、ジェイムスの王位継承権は、彼の母親メアリー・スチュアートが処刑されたイングランドの1585年法によっても阻害される可能性があった。なぜならば、彼は、「殺害計画が成功した際利益を受ける者」に当たるからである。(訳注3)そして最後にイングランドの為政者の間には、「もしもジェイムスがイングランド王位を継げば、彼は殺された自分の母親の復讐をするのではないか」という感情があった。

 

 

(訳注)

 

1.つまり、メアリーの2人の娘、フランセスとエレノアのことをいっていると思われる。フランセスはサフォーク公爵夫人、エレノアはカンバーランド伯爵夫人。


2.いろいろとややこしいが、ヘンリー7世の長女がマーガレット・テューダー。彼女はスコットランド国王ジェイムス5世と結婚した。2人の間に生まれたのがメアリー・スチュアート、すなわち、スコットランド女王メアリー。(エディンバラ生まれ)メアリーは4代目レノックス伯マシュー・スチュアートの長男ヘンリー・スチュアートことロード・ダーンリーと結婚。その間に生まれたのがジェイムス6世。(エディンバラ生まれ)だから、ジェイムス6世はヘンリー7世の血を引いていて、強い王位継承権をもっているような気がする。


ところが、ここにアラベラ・スチュアートが出てくる。彼女は、4代目レノックス伯マシュー・スチュアートの次男で5代目レノックス伯チャールズ・スチュアートの娘。しかも、イングランド生まれである! それに対してジェイムス6世は、エディンバラ生まれなので、イングランドから見ると外国生まれであって、王位継承権をもたないという考え方も根強くあったようだ。


だから、ここでは、たとえヘンリー8世の遺言を無視して、マーガレットの子孫も王位継承権をもつと仮定してみても、ジェイムスにはなおアラベラというライバルがいたということをいっていると思われる。


ちなみに、これまでからわかる通り、ジェイムス6世とアラベラ・スチュアートはいとこ同士に当たる。父親どうしが兄弟。


2.メアリー・スチュアートは、バビントン事件に加担したとして反逆罪に問われて処刑された。バビントン事件とは、エリザベス女王を暗殺してメアリー・スチュアートをイングランド女王にしようとした陰謀事件である。未遂で終わった。


メアリーが本当に関わっていたかは、訳者は今のところよくわからない。とにかく、当時のイングランドでは、エリザベス女王を亡きものにして自分が女王に収まろうとしたということで、メアリーは処刑された。


もしも陰謀が成功していて、メアリーがイングランド女王になれば、メアリーの息子のジェイムス6世は、もっとも強いイングランド王位継承権をもつことになる。すなわち、「陰謀が成功したことによって利益を受くる者」である。そうした理由で、1585年法をもちだしてジェイムスはイングランド王位につけないと考える向きもあったようである。