8/⑶/8章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 イングランドの行動は、「まもなくスペインの攻撃が必ずある」という信念によって決定づけられた。1584年にスペイン大使のメンドーサ(訳注1)が追放されたにもかかわらず、ローマ・カトリックの陰謀はまだ続いていた。1585年、議会はプロテスタントによって作られた「連盟(Association)」を批准した。(訳注2)そこでは、女王は特別の委任によって、王位継承から、陰謀や侵攻に加わった者、または、自らの利益のためにエリザベスに対して陰謀を企ててもらった者を排除することができる権限が与えられていた。(訳注3)当該法律は、明かにメアリーを念頭に置いたものだった。そして、その後、エリザベスとジェームスとの間に親密な親善関係が生まれた。

 

 

(訳注)

 

1.Bernardio de Mendoza (c.1540-1604)  スペインの軍人、外交官、著述家。1578年、フェリペ2世は彼を駐ロンドン大使として派遣し、彼は大使としてだけではなくスパイとしても働き、情報をスペインに送った。1584年、いわゆるスロックモートン事件(フランシス・スロックモートンによってエリザベス1世に対して企てられた陰謀事件。失敗に終わった)への関与が明らかになったあと、追放された。(Wiki, Eng, "Bernardio de Mendoza")

 

2.連盟(Association):"Bond of Association"のこと。スロックモートン事件発覚後、エリザベスの周りの者は、「王位を簒奪しようとした者、簒奪した者、エリザベスの命をねらおうとした者、暗殺した者を処刑にする」と定めた連盟状を作り、署名者を集めた。また、議会もこの連盟状を批准し、"The Safety of the Queen, etc. Act" という法律を通過させた。

 

3."The Safety of the Queen, etc. Act"。(上記訳注2参照)

 

ref: ed. by John Raithby (1766-1826), The Statutes at large, of England and of Great Britain : from Magna Carta to the Union of the Kingdoms of Great Britain and Ireland, vol. iv (London, 1811), p. 401. ; Wiki, Eng, "Safety of the Queen, etc. Act 1584"