①②/⑴政治的背景/7章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

藤原の田中のブログ

ブログの説明を入力します。

7章:宗教改革 第1節:政治的背景 


① 政治的背景は、スコットランドにおけるフランスの利益とイングランドの利益の競合と、王権と貴族との闘争であった。こうした古くからの対立が宗教的様相を呈したのである。フランスは旧教の側に立ち、イングランドは少なくとも明確に反ローマ教皇であった。イングランドびいきの者たちの中には、熱狂的なプロテスタントもいれば、アンガスのようにその動機が政治的なものである貴族もいた。

 

② ジェームス5世(訳注1)は、これまで見てきた通り、フランス側を選んだ。そして、ソルウェイ・モスの戦い(訳注2)の大敗北のあとに続く彼の死は、スコットランドの政治がヘンリー8世(訳注3)によって完全に支配されることを予兆しているかのように見えた。ヘンリーにはソルウェイ・モスの戦いで得た捕虜がおり、それが彼にとって道具として使える可能性があった。また、彼はまだ幼い女王(訳注4)と非常に近い関係にあり、それが彼の干渉の根拠となった。(訳注5)そして、その幼い女王と自分の息子(訳注6)との結婚を提案することによって、自分が行おうとしている干渉に善良な意思の外観を与えた。当初は、ヘンリー8世の思い通りになるにちがいないように思われた。ビートン枢機卿(訳注7)とメアリー女王のフランス人の母親(訳注8)とによって行われたクーデターは失敗に終わった。イングランドびいきのアラン(訳注9)が護国卿(Governor and Protector of Scotland)として選ばれ、1543年3月、議会は聖書が英語で読まれることを認可した。(訳注10)ビートンは投獄され、同年8月のグリニッジ条約により、まだ幼いスコットランド女王はイングランド王太子と婚約した。(訳注11・12)

 

 

(訳注)

 

1.スコットランド王ジェームス5世(1512年4月10日生、1542年12月14日没。王位:1513年9月9日-1542年12月14日)

 

2.1542年11月24日。ref: Cunningham, i, 179.

 

3.イングランド王ヘンリー8世(1491年6月28日生、1547年1月28日没。王位:1509年4月22日1547年1月28日)

 

4.スコットランド女王メアリーのこと。1542年12月8日生、1587年2月8日没。女王位:1542年12月14日-1567年7月24日。生まれて7日目に王位を継いだ。

 

5.ヘンリー8世とメアリーの血縁関係:ヘンリーの姉マーガレットがスコットランド王ジェームス4世のもとに嫁ぎ、その息子がジェームス5世、その娘がメアリー。つまり、メアリーから見たらヘンリー8世は大叔父に当たる。また、イングランドでは女系の君主も容認されているので、マーガレットを介してイングランド王家の血を受け継ぐメアリーには、イングランドの王位継承権があることになる。これがのちにエリザベスとのライバル関係につながる。

 

6.イングランド王太子エドワード。のちの国王エドワード6世。1537年10月12日生、1553年7月6日没。生まれるとすぐに王太子に冊立された。

 

7.デイヴィッド・ビートン(1494年頃-1546年5月29日)。1538年にカトリック教会の枢機卿。1539年にセント・アンドリュース大司教。1544年に教皇特使。1546年に暗殺。

 

8.メアリー・オブ・ギーズのこと。ジェームス5世王妃。フランスの有力貴族ギーズ家の出身。メアリー女王の母親。1515年11月22日生、1560年6月11日没。

 

9.2代目アラン伯ジェームス・ハミルトンのこと。のちにシャテルロー公。1519年頃生、1575年1月22日没。メアリー女王のもとで1543年から1554年までスコットランドの護国卿。ハミルトン家はスチュアート王家とジェームス2世を共通の祖先とする。すなわち、2代目アラン伯ジェームス・ハミルトンの父親が初代アラン伯ジェームス・ハミルトン、その母親がアラン伯夫人メアリー・スチュアート、その父親がジェームス2世である。すなわち、2代目アラン伯はジェームス2世のひ孫にあたる。一方、メアリー女王の父親がジェームス5世、その父親がジェームス4世、その父親がジェームス3世(アラン伯)、その父親がジェームス2世である。メアリー女王当時、2代目アラン伯ジェームス・ハミルトンにも王位継承権があった。それが彼の野心につながったようである。

 

10.ref: Cunningham, i, 182.

 

11.ref: ibid.

 

12.メアリーもまだ1歳に達していなかったが、エドワードもまだ6歳だった。ヘンリー8世がいかにせっかちだったか想像できる。また、彼が男の子が欲しかった理由もわかる。たぶん、ヘンリー8世は男性信奉者だった。だから、男の子と女の子が結婚したら、男の子が主導権をとることになると思っていた。だから、イングランドの王位継承者が女の子だと、スペインやオーストリアの皇太子と結婚すると、イングランドがこれらの国に吸収されてしまうことになる。その逆をスコットランドにやろうとしていると見れるのではないか。