ゆるんだ理由 | ハリーの養生訓

ハリーの養生訓

僕が見つけた養生

ある時期、厳格な菜食をしていた。

思いつきではなく、勉強もした。

自分の体はもちろん、精神にも良い影響があると考えていたし、地球環境や他の生命にもやさしいと信じていた。

今はどうか。

どちらでもよし、どうでもよし、の境涯に入ってしまった。

食材に気を配るに疲れたというのもある。

情熱は失われ、よく言えば、とらわれがなくなり、頑なさがなくなった。

ゆるんだ決定的な原因として、よそ様に気を遣わせる自分の不遜さ、尊大さに嫌気がさしたことがある。

これは食べられるんだっけ?
これは食べられないよね。
別のを用意するね。

食事の度に、煩わせている。

てめえは何様なんだと。

自分かわいさに、身勝手を通し、人を巻き込んでいる。

そこまでして、得てどうする?

良心の呵責というのだろうか。

ただ信念を貫き通す強さがなかっただけかもしれない。

でも過去の自分より、今のいい加減な自分の方が好きだ。

人にもやさしくなれたし。