人間の食べ方 | ハリーの養生訓

ハリーの養生訓

僕が見つけた養生

食べることは生命をいただくこと。

だから感謝していただきましょう。

このように言葉にすると、わかったような気がするのですが、勝手に生命をいただいておいて、一方的に感謝されても、奪われた生命は納得するだろうかと思うのです。

人間とは宿命的に罪深く、徹底的に自分勝手なのですから、多少の感謝で善人ぶるよりも、とことん自分勝手を貫いた方が潔いと思い始めました。

つまり、無念にも食用となった生命を、この身を通して往生させていくという、自分勝手の極致です。

増永静人は東洋的な生命観を語る場面で、こんな逸話を披露しました。

『このあいだも鯉の活造りを食べましてね、食べてる間もピクピク動いてますよ、「殺生やなあ」と食べてる人が言った。それで私は言ったんです。「あなた、殺生という言葉をつかったら、この鯉が泣くよ。この鯉を往生させるんですよ。往生ということは、この鯉の命が私に生きて、私のなかで新しい生命を保っているんだ。私のなかで、もっと大きな働きをするためにこの鯉は死んでくれたのだ。そういう見方をしなきゃ、鯉に悪いよ」と。お互い殺して行かなきゃならんことがあるけど、すべて往生ですよ。そしてまた私も、どっかの生命のところへ行って、新しい大きな働きのために往生する、と。これが生命の連帯感でしょうね。』

どうせ食べるなら、この口に入る縁というものを、徹底的に肯定し生かし切っていく。

死んだものは何も語らないけれど、この生命は引き受けたぞと背負いこむことで、うすっぺらな感謝よりもずっと重厚な人生観を醸成すると思います。