栗山式では四季に応じて食べるものや食べ方を変える。
本来、野生動物は、その時その場にあるものを食べる。
季節外れのものや、遠く離れた土地のものを食べるなどという、選択の余地はない
さらに栗山式は、四季の盛衰になぞらえて年齢や病勢、そしてその日の天候も考慮に入れる。
雨など天候不良の場合、それと呼応して内臓機能が低下すると考え、難消化の食物を避ける。
人間の食欲には際限がなく、あらゆる調理技法を編み出した。
それは人工的な加工を施し、見た目に美しく、味を良くしたために、一方で不自然な食習慣、ひいては現代的な疾病を生んだと解釈していく。
同時に、多様な食文化は、複雑な思考と高度な文明の礎になったという向きもある。
その長短の折り合いをつけることに腐心して構築されたのが栗山式食事療法であると、僕個人は看取した。
そして、そこから学ぶことは「何を食べればよいのか」ということばかりに、いつになっても目が向きがちな我々に内省的な視点を与えるということだ。
つまり、食物を消化、吸収し、それを生命活動に代え、さらには排泄するのは、ほかの誰でもない自分の体なのだと。
『整った身構えと心構えと環境とを食事に加えること』
と言ったのは沖正弘だが、どうしてもその視点が抜け落ち、あれを食べろ、これは食べるなの議論に終始しがちだ。
『食物自身に生かす力や働きがあるのではない。生かす力は食物の含んでいる成分と自分の心身の内容と働きとの協力関係の上に生まれてくるものである。たとえば心身の力の強弱、働きが整っているか乱れているかの違いによって、栄養力が高まったり弱まったりするだけでなく、本来は薬になるはずのものが毒物に変わったりもするのである』
マクロビオティックの桜沢如一はこんなことを言っている。
『食養は食事の規則を教えるものだと思っている人があります。大きな間違いです。食養は金ピラや、大根や人参やコブや半ツキ米を食べることだと思っている人があります。馬鹿ですな。食養は砂糖や菓子を食べないことだと思っている人があります。ボンヤリですな。食養とは、何を食っても(好きなものばかり食って)決して病気にならず、毎日毎日力強く、(何の心配もなく)楽しく暮らしながら、何かしら残る仕事を仕上げることなのです。それは神を知ることであり、神を生きることであり、神に生きることであり、、神にかえることであり、神を不断に念うことであり、慈母を慕う幼な子のように、大自然ー絶対無限ーを賛嘆することなのです』
野口晴哉は「食養生とは?」と問われて『食物を食うこと也。今の人、食物に食われて養生を知らず』と言った。
『予は食物第一と考へ、かつては食養生を研究したこともあつた。
而して自分の得た結論はかうである。人間は自然に要求したものを食すればよい、別して食物に就いて工夫するの要はない、如何に栄養ある食物でも、これを消化吸収する能力が人に具はつて居らねば何にもならぬ。従つて食物よりも消化器を健康にすることが第一である、といふことである。
栄養物で人を健康にしようとする考へは、根本的に誤つてゐるのです。之を消化吸収する能力に栄養があるので、食物に存するのではない。
だから食ふに食物を吟味精選し、栄養の多少に心を煩つて食べるやうでは、如何なる栄養食も栄養にはならない。
ヴィタミンBの欠乏も必ずしも食物のせいではない。同じ食物を食してゐて或る人は脚気になるが、或る人はならない。ヴィタミンBの吸収の悪い體かもしれない。ヴィタミンBの消耗の激しい體かもしれない。しかし、整體操法ではヴィタミンBの特別補給をしないで、普通の食事をしたままで、腹部第二整壓點と頭部活點及腰椎二、四の整壓で脚気は治る。要するに吾々に於ては、脚気はヴィタミンBの問題では無い』
「肉を食え」「野菜を食え」
それぞれに根拠があってのことだろう。
たとえそうであっても、断片的、観念的に過ぎない知識と経験に基づく主観であるとの謙虚さはあっていい。
いわんや人に押し付ける筋合いのものでもないだろう。完全無欠の神なら別として。
あなたが食事に求めるものはなにか?
高潔な精神?
強靭な肉体?
どちらも叶わない。
無自覚の優越感と劣等感。
一方を肯定すれば、必ず他方を否定する心が生じる。
意図を手放し、善悪を超えていくことと方法論は矛盾していく。
「生きている自分」と「生かされている自分」の交わるところで、今一度日々の食事を見直していきたい。
「新食事療法全書」(昭和三七年)の巻頭の自序からみていきたい。
栗山先生が肺結核で療養中、この二つの言葉に出会い食事療法に突き進むことになる。
ソクラテス
「人間は食物を煮たり焼いたりした加工品を食べるので病気になる。野山に住む動物は自然のものをそのまま本能的に食べるので病気のもかからず、たとえかかっても自然の療能によって回復し、そのもっている寿命を、どれもこれも同じように全うしているのだ」
エジソン
「自分は三日間不眠不休で研究したが少しの疲労も感じなかった。これは菜食のおかげだ」
そこで栗山先生はすかさず行動に移す。
『しかしさて一口に自然食といっても、その選び方はまったく分かりませんでしたので、まず人間に近い動物といわれる野猿を三匹飼い、一匹には加工した食物を、一匹には生のまま、一匹には両様の食物を与え、私も猿と共に食事をし、果物と生野菜の生食で、飲料は生水だけという生活の結果、自然食が断然よいことがわかりました」
自らが実践するだけでなく、3匹の猿を比較するところが並外れている。
『身近のあらゆる野菜はもちろん、時には花の類から茸は毒茸以外は何でも食べてみました』
徹底して実践する性分のようだ。
それまでは、療養のためにいわゆる滋養物といわれる肉や魚をつとめて食べていたが、これを機に野菜食に転換することとなり、貧乏書生にとって「経済的にも大いに救われた」とも述べていて人情味がある。
『もちろんこのような生食がおいしいはずがありません』
もうすでに手の込んだ調理がされ、おいしく味付けされた料理に親しんでいるので、無理もないことでしょう。
『といってもまずくないのです。ただ病気を治したい一心でやり通しました』
その信念の強さが一面で病気を克服する要因となったことを見過ごしてはならないでしょう。あらゆる健康法に言えることです。
『最初の一日二日はどうしてもたくさん食べられないので困ったものです。そして気分が大変爽やかなほかは、容態がまえより悪くなったような気分がしました』
治る過程における好転反応だろうか。
『けれども十日、二十日たちますと、いつの間にか元気が出て食欲も増し、三ヵ月目にはいつの間にか自覚症状もなくなり微熱もとれてまるで治ったような気がしました。あれほどの重病が、全快する自信が持てるまでに回復したのです』
何事も三ヵ月の継続で体の変化が出てくるのだろう。自信を取り戻していることにも注目されたい。病気が長引くと衰弱がはなはだしくなり精神力が萎えて慢性化から抜け出せなくなる。
『よくなると現金なもので急に食物へのいろいろの欲望がおこり、体力の回復にしたがってこの要求はいよいよ強くなり、こころのたたかいは並大抵の苦痛ではありませんでした』
正直な心情の吐露である。人間の弱さ、慢心を経験しそれを包み隠さず開示している。聖人君子よろしく居丈高に唱導する指導者とは一線を画していて、僕が惹かれるところでもある。
こうした結核を克服するという原体験をもとに、その後、研究を進めオリジナルの食事療法を創始するに至る。
『人間が食物をとるのは生きてゆくためと楽しみと二通りの目的があって、楽しみながら生きてゆくのが文明人としての生活でなければならない』
この前提は最も重要だろう。ただ生きていればよいのでもなければ、病気を治すためだけに生きているのでもない。
『自分自身の体験を基として、次第に煮たり焼いたりしたものも食べてみて苦心研究をかさね、たくさんの実験の結果、今日の健康療法の献立を完成いたしたわけです』
生食一辺倒だと続かないことを身をもって知ったのだろう。現実的な範囲で生食を取り入れていくということ。それは今後見ていく個々の献立に反映されている。
『おいしく、美しく、そして効果のあるように苦心いたしました。それでも普通の料理から見れば、多少まずいかも知れませんが、しかし生きてゆくために必要なものなら、まずくとも辛抱して食べるように努めなければならないものです。つまり病人は生きるための食事を第一の食事としなければなりません。そして病人は出来るだけたのしみの食物をさけ、治療への食事を心がけるようにしてください。それには克己心と忍耐力を養わなければなりません。つまり心の修養と食物による肉体の養いとが両々相まって初めて回復への道を歩むことができるのだと思います』
時代性というものもあるでしょうか。こうした修養的な臭みは現代では敬遠されるかもしれません。しかしながら、普段の食事を質素にすることで、たまに食べるご馳走が色鮮やかになることもたしかでしょう。ハレとケを使い分けることには異論はないことと思います。期間を決めて集中して行う意義も、信念の強化と相まって、療法としての食事にはあることでしょう。
もう少し言えば、同じものを食べても、おいしく感じるか、まずく感じるかはそれぞれの主観の問題であって、自然食がそのままおいしく感じる可能性もあるわけです。
以上、「自序」に栗山先生の肉声を感じたので、詳しく見ていきました。今後、各論を読み進めていきたいと思います。
我が家の本棚には古今東西の食事療法にまつわる文献が並んでいる。
職業柄、一通り知識を得るために読んだものだ。
その中でも、特に共感したものがある。
しかも最近、ふと気になって頭を離れなかった。
そういうわけで再読するに至った。
現在あまり知られていないが、栗山毅一が提唱した「栗山式食事療法」だ。
栗山先生は幼少のころから病弱で、あらゆる病気を経験し、23歳の時に肺結核となり、いよいよ療養生活を余儀なくされた。
朝は卵、昼は魚、夕は肉をしきりに食べたが、一向に好転せず悪化の一途をたどった。
活路を見出すべく、様々な文献にあたることになる。
そこでソクラテスの言葉に出会う。
「人間は物を焼いたり煮たりして食べるから病気になるのだ」
さっそく猿を3匹飼い実験した。
非加熱食のみ
非加熱食と加熱食の混合
加熱食のみ
それぞれを与えて健康状態をつぶさに観察してみた。
非加熱食のみを与えた猿は健康体となり、一番人懐っこく芸をよく覚えた。
加熱食のみを与えた猿は病弱となり、人に懐かず芸を覚えなかった。
混合はその中間的な性質となった。
観念や精神論ばかりに偏らず、実証的なところがおもしろい。
さらに栗山先生は95才の長寿であった。
身をもって実証されたわけである。
現実主義であったことも、こんなエピソードからわかる。
玄米食を提唱する大家(玄米博士)との対談。
博士「玄米は芽が出るから生きているが、白米はまいても芽が出ない。芽が出ないものを食べても栄養にならんと思うのですが」
栗山先生「では、博士は玄米を生で召し上がるのでしょうか。生で召し上がるのなら話はわかりますが、炊いて食べるとすれば、炊いた玄米からは芽が出ないのですから同じことだと思います」
博士「しかし、玄米には脂肪、無機質、ビタミンなど、あらゆる栄養分がありますから、体によい道理ではありませんか」
栗山先生「それなら、白米とおからを食べればいいわけです。白米はデンプンですが、おからには、博士のおっしゃるとおり、脂肪、無機質、ビタミンがありますから」
博士「玄米はかめばかむほどおいしくなりますよ」
栗山先生「何回くらいかむのですか」
博士「一口、250回かみます」
栗山先生「250回という数はともかく、よくかむという点では大賛成ですが、私は忙しいので、とても250回もかんでいる余裕はありません」
もちろん玄米食は、ごく少量を時間をかけてゆっくりと食べるという点においてけっこうですが、それは玄米食に限らず、食事の食べ方全般について言えることです。とりたてて玄米食にしなければ、と考える必要はありません。
対談を引き合いに出し、このように結んでいた。
大いに首肯できた。
文化の推移と病気についても言及された。
文化の第一の革命、火の発見。焼くという手段が取られるようになった。
第二の革命、焼くだけでは固いため煮るようになった。
第三の革命、味をよくするために塩を使うようになった。
第四の革命、砂糖を使うようになった。
第五の革命、油を使うようになった。
病気の歴史を見ても、食事の変換にそれが追従していると見抜き、食事革命が人間に真の幸福をもたらしたかどうかは疑問であるとした。
第六の革命期ともいえる現代における、食味向上のための合成添加物の乱用を見るにつけ、栗山先生の卓見に敬服せざるを得ない。
人間はその欲望の暴走を止めることができず、いよいよ破滅へと向かってしまうのだろうか。
今後も栗山式食事療法を読み解いていきたい。