レトリックとは文を書く技術
ヒューマニティーズ(人文、リベラルアーツ、基礎学問)の2として、レトリックを話しましょう。レトリックとは修辞、修辞学と言います。文章を書く技術です。日本では全く習いません。
レトリックとは、今では美辞麗句と言った訳語が当てられ、わざわざレトリック(「ゥレリッ」と発音します)という場合はそういう意味です。学問としてはとうに廃れました。
しかし、レトリックが無視され、誰もやらないわけではありません。これは、文章を書く技術なので、レトリックがなければ、文章はただの雑文を書き連ねた元ということになります。
レトリックとは比喩のバリエーションのこと
では文章を書くというのはどういうことか。言葉と文字をただ書き連ねただけでは、文章ではありません。要は、比喩を使うことが文章なのです。では比喩とは何でしょうか。これはフィギュレイティヴ・フォームといい、「フィギュア=具体的に形のあるもの、画像がイメージできるものを例にとって例えること」なのです。
では比喩には何があるでしょう。日本で一般に言われるのは、直喩(ようだ、ようなを使う)、暗喩(ようだ、ようなを使わない)、擬人法(人間に例える)です。
しかし、元々これらは一つの範疇に入れられていたもので、本来比喩は「提喩」「換喩」「暗喩」の三つに分けられていたようです。
例を出します。恥ずかしいけど、とりあえずウィキです。レトリック入門とレトリックに関するブリタン以下のページコピーが今手元にないからです。
隠喩と直喩はいいでしょう。隠喩はメタファー、直喩はシミリと言います
提喩(シネクドース):「トリ」でニワトリの肉を表すこと。鳥がニワトリを含んでいる。大きな概念が、それを含む概念を表す。「花」で桜や梅を表すのもそれ。
換喩(メトニミー):「永田町」で国会、「葵」で徳川を表す。象徴のこと。ランボーやマラルメらはこれをとことん推し進めました。一見関係ないもので、別の物を表す。それが換喩。
この三つがレトリックのことです。そしてその他、今では詩の技法として小中学校(の受験専門塾でしかやらないけど)教えられますが、省略、倒置、押韻、反復、対句、呼びかけ、体言止めがあります。
小中高校では、まずこういった技法を使ってものを書くこと「も」重要なのです。今では全く無視され、日々の体験で自由に思いつくだけです。これを文盲、イリタラシーの一種と言います。
散文用のレトリック
以上のレトリックは、一般に「文学的表現に過ぎない」などと言われるレトリックです。文学的表現とは、比喩のことなのです。文学とは小説ではなく、元々「詩」のことです。韻文のレトリックです。ですから、詩学と言えるでしょう。
次は、散文用のレトリックです。今では、塾や予備校の先生が教えているのがこれです。一般の学校、特に公立小中高校では、まったく教えられません。教えられる先生がいませんし、私立も含めて、こういうことを知っている先生など皆無です。
散文用レトリックとは以下です。
1:主題(トピック)と要旨(メイン・アイディア)―主題がタイトル。要旨が仮説・前提・結論です。この三つは結局同じものです。
2:要点(メイン・ポイント)―各段落のメイン・アイディアです。
3:結論―1の繰り返しです。主張を述べたりします。
4:話の展開法・文脈
↓
ここからがいわゆる三分レトリックのバラエティです。
①具体例(体験や事実、引用、一般論)
②列挙:
1・並列:具体例や理由をひとつづつ上げること。ポイントフォーム(箇条書き)もそれ。
2・時系列:物事を起こった順序で記述する。日記がそれ。歴史の編年体もそれ。
③因果関係(コーザリティ。コーズ・アンド・エフェクト。原因結果を述べること。理由を「挙げる」のではなく、コヒーレント(首尾一貫的に)つなげる。直線的なリニアー(原因→結果だけが成立。結果→原因はあり得ないこと)が基礎。その次のステップが三段論法。それを広げる。欧米人が一番好きなもので、欧米人とイスラムの思考。ロジックがここからスタートした。
④比較:(コンパリゾン)
1・似ているものの共通点をあげる。アナロジーから主張や結論につなげる。
2・似て鋳物の共通点を上げたら、どっちが良いかよくないか、重要かどうか、比べる。
⑤対照:(コントラスト)二通の物の違いを述べる。欧米の文章、近代の三分で最も使われるもの。ここから弁証法とディベートが発達していった。
⑥空間順序:(スペイシャル・オーダー)要するに道案内。どこに何があるか、どう行けばどこに至るか。その場所に何がどのようにあったかを説明する。
レトリックとは「表現」と「説明」のこと
これらがレトリックです。みなさん毎日の生活で、絶対にどれかを使っています。しかし、日本人は口頭でこれらのどれも上手く出来ません。いや、比喩だけできます。落語や浄瑠璃を昔の人は暗唱して、コミュニケーションの練習をしました。だから昔の人は「韻文レトリック」が上手です。
今の人はどれも出来ません。しゃべれません。ソース、証拠を何の検証もなしにあげつらって、人のみにするだけです。鵜呑み国民、日本人となりました。疑問を持ちませんし、疑問があっても以上のこと(リーズニング)が出来ません、全く。
私がリーズニングと言っているのは以上のものです。そして、韻文のレトリックは「表現」(エクスプレッション)であり、散文のレトリックは「説明」(エクスプレイン)のことです。両方できなければ「人間―ヒューマン」ではありません。ただの「生き物」です。
現代日本人はエクスプレイン(プレイン、平易にわかりやすく明らかにすること)はもちろん、エクスプレッション(表現。感情と感性を上手に表に表すこと)も
上手に出来ません。ただ黙っている土偶。
日本人にできるのは「印象を受けること」(印象、感銘、感動、乾燥、全部同じです)だけ。インプレッションといって、エクスプレッション―表現の逆です。ただ受け身に心を動かすだけ。泣く、驚くだけです。これは犬猫です。
TVの「いい話」とかで感動し、テロや凶悪事件、災害を見て「驚き、わくわくする」。それが現代日本人の正体です。
違うというなら、上のどれかを普段の生活の言葉で、当たり前にやってごらんなさい。絶対にできません。
ヒューマニティーズ(人文、リベラルアーツ、基礎学問)の2として、レトリックを話しましょう。レトリックとは修辞、修辞学と言います。文章を書く技術です。日本では全く習いません。
レトリックとは、今では美辞麗句と言った訳語が当てられ、わざわざレトリック(「ゥレリッ」と発音します)という場合はそういう意味です。学問としてはとうに廃れました。
しかし、レトリックが無視され、誰もやらないわけではありません。これは、文章を書く技術なので、レトリックがなければ、文章はただの雑文を書き連ねた元ということになります。
レトリックとは比喩のバリエーションのこと
では文章を書くというのはどういうことか。言葉と文字をただ書き連ねただけでは、文章ではありません。要は、比喩を使うことが文章なのです。では比喩とは何でしょうか。これはフィギュレイティヴ・フォームといい、「フィギュア=具体的に形のあるもの、画像がイメージできるものを例にとって例えること」なのです。
では比喩には何があるでしょう。日本で一般に言われるのは、直喩(ようだ、ようなを使う)、暗喩(ようだ、ようなを使わない)、擬人法(人間に例える)です。
しかし、元々これらは一つの範疇に入れられていたもので、本来比喩は「提喩」「換喩」「暗喩」の三つに分けられていたようです。
例を出します。恥ずかしいけど、とりあえずウィキです。レトリック入門とレトリックに関するブリタン以下のページコピーが今手元にないからです。
隠喩と直喩はいいでしょう。隠喩はメタファー、直喩はシミリと言います
提喩(シネクドース):「トリ」でニワトリの肉を表すこと。鳥がニワトリを含んでいる。大きな概念が、それを含む概念を表す。「花」で桜や梅を表すのもそれ。
換喩(メトニミー):「永田町」で国会、「葵」で徳川を表す。象徴のこと。ランボーやマラルメらはこれをとことん推し進めました。一見関係ないもので、別の物を表す。それが換喩。
この三つがレトリックのことです。そしてその他、今では詩の技法として小中学校(の受験専門塾でしかやらないけど)教えられますが、省略、倒置、押韻、反復、対句、呼びかけ、体言止めがあります。
小中高校では、まずこういった技法を使ってものを書くこと「も」重要なのです。今では全く無視され、日々の体験で自由に思いつくだけです。これを文盲、イリタラシーの一種と言います。
散文用のレトリック
以上のレトリックは、一般に「文学的表現に過ぎない」などと言われるレトリックです。文学的表現とは、比喩のことなのです。文学とは小説ではなく、元々「詩」のことです。韻文のレトリックです。ですから、詩学と言えるでしょう。
次は、散文用のレトリックです。今では、塾や予備校の先生が教えているのがこれです。一般の学校、特に公立小中高校では、まったく教えられません。教えられる先生がいませんし、私立も含めて、こういうことを知っている先生など皆無です。
散文用レトリックとは以下です。
1:主題(トピック)と要旨(メイン・アイディア)―主題がタイトル。要旨が仮説・前提・結論です。この三つは結局同じものです。
2:要点(メイン・ポイント)―各段落のメイン・アイディアです。
3:結論―1の繰り返しです。主張を述べたりします。
4:話の展開法・文脈
↓
ここからがいわゆる三分レトリックのバラエティです。
①具体例(体験や事実、引用、一般論)
②列挙:
1・並列:具体例や理由をひとつづつ上げること。ポイントフォーム(箇条書き)もそれ。
2・時系列:物事を起こった順序で記述する。日記がそれ。歴史の編年体もそれ。
③因果関係(コーザリティ。コーズ・アンド・エフェクト。原因結果を述べること。理由を「挙げる」のではなく、コヒーレント(首尾一貫的に)つなげる。直線的なリニアー(原因→結果だけが成立。結果→原因はあり得ないこと)が基礎。その次のステップが三段論法。それを広げる。欧米人が一番好きなもので、欧米人とイスラムの思考。ロジックがここからスタートした。
④比較:(コンパリゾン)
1・似ているものの共通点をあげる。アナロジーから主張や結論につなげる。
2・似て鋳物の共通点を上げたら、どっちが良いかよくないか、重要かどうか、比べる。
⑤対照:(コントラスト)二通の物の違いを述べる。欧米の文章、近代の三分で最も使われるもの。ここから弁証法とディベートが発達していった。
⑥空間順序:(スペイシャル・オーダー)要するに道案内。どこに何があるか、どう行けばどこに至るか。その場所に何がどのようにあったかを説明する。
レトリックとは「表現」と「説明」のこと
これらがレトリックです。みなさん毎日の生活で、絶対にどれかを使っています。しかし、日本人は口頭でこれらのどれも上手く出来ません。いや、比喩だけできます。落語や浄瑠璃を昔の人は暗唱して、コミュニケーションの練習をしました。だから昔の人は「韻文レトリック」が上手です。
今の人はどれも出来ません。しゃべれません。ソース、証拠を何の検証もなしにあげつらって、人のみにするだけです。鵜呑み国民、日本人となりました。疑問を持ちませんし、疑問があっても以上のこと(リーズニング)が出来ません、全く。
私がリーズニングと言っているのは以上のものです。そして、韻文のレトリックは「表現」(エクスプレッション)であり、散文のレトリックは「説明」(エクスプレイン)のことです。両方できなければ「人間―ヒューマン」ではありません。ただの「生き物」です。
現代日本人はエクスプレイン(プレイン、平易にわかりやすく明らかにすること)はもちろん、エクスプレッション(表現。感情と感性を上手に表に表すこと)も
上手に出来ません。ただ黙っている土偶。
日本人にできるのは「印象を受けること」(印象、感銘、感動、乾燥、全部同じです)だけ。インプレッションといって、エクスプレッション―表現の逆です。ただ受け身に心を動かすだけ。泣く、驚くだけです。これは犬猫です。
TVの「いい話」とかで感動し、テロや凶悪事件、災害を見て「驚き、わくわくする」。それが現代日本人の正体です。
違うというなら、上のどれかを普段の生活の言葉で、当たり前にやってごらんなさい。絶対にできません。