サンドマン 再び
ネットフィリックスでサンドマンを実写ドラマ化したそうですが、それに合わせて、久しぶりに日本でも動きがあるようです。
2022/1/27追記
amazonオーディブルでSandman日本語バージョンが近々公開予定。
名人伝
名人伝 中島敦の短編小説
弓の名人が、弓を極めていって、山にこもり、下山して来た時には、もう弓を持つこともなく、晩年には弓のことさえ忘れるというお話。
解釈はいろいろあるかと思いますが、悟りに置き換えると、悟りを求めて、山にこもって深めていった人が、悟りを極めた時、悟りをいうことは忘れて、下山して市中に暮して一般人と変わらぬ雰囲気で毎日を生活し、死んでいくのではないか。
朝起きて、家の周りを掃除して、朝ご飯を食べ、働きに出かけ、お昼にお弁当を食べ、夕方帰って来て家族で食事をし、就寝する。
常に柔らかい物腰でにこにこと笑い、困っている人がいれば助け、悪を働く人には諭す。
名人は厳つい風貌でもなく、鋭い気を発している訳でもないので、すれ違う人も名人だと気付かないが、横を通った時に妙なる香りを感じ、思わず振り返る。
だが、名人はもうそこにはいない。
人は同じ川に2度と入ることはできない。
人は同じ川に2度と入ることはできない。
ギリシャ哲学者ヘラクレイトスの言葉で、私も好きで、いろいろ考えてきた。
ところが、パラレルワールドやエンドレス8等を鑑みると、同じ川に2度どころか、無限に足を踏み入れているのではないか。
そして、毎回、何をするかの選択肢を与えられ、毎回、同じ選択をする。
その人の境遇により、何万回、何億回で、違う選択を始めてする。そこから、また、新しいループが始まるのではないか。
宇宙とはそういうものではないか。
ヒーロー
ヒーロー物が昔から大好きなんだけど、それは救世主を待っているのかなと思う。
スーパーマンとバットマンが2大ヒーローというのは頷ける。
スーパーマンは絶対的な存在として、人類の上に君臨する。最高の人格者として、ヒーローの中のヒーロー。
バットマンは裏方専門。理想のためにあえて火中の栗を拾う。
スーパーマンとバットマンはヒーローの対極の存在としてのアイコンです。
だが、アメリカでは、裁判なしに裁く彼等の行動が問題になる。
日本では考えられない。ウルトラマンや仮面ライダー、プリキュアが司法に縛られるか?
アメリカではX-MEN、ウォッチメンに始まり、Mr.インクレジブルに至るまであらゆる場面でヒーローの行動が司法に縛られる。
そんな中、9月から始まった仮面ライダーフォーゼ、設定が甘過ぎるが、それを吹き飛ばす能天気さがすがすがしい。そこには財政破綻も原発もない。
私もまさかここまでネガティブな要素を全く取り入れない番組作りをするとは思わなかったが、右を見ても左を見ても閉塞感漂う世の中で、この仮面ライダーフォーゼは救いです。くだらないけど、今、一週間でこれを見るのが楽しみ。
スーパーマンとバットマンが2大ヒーローというのは頷ける。
スーパーマンは絶対的な存在として、人類の上に君臨する。最高の人格者として、ヒーローの中のヒーロー。
バットマンは裏方専門。理想のためにあえて火中の栗を拾う。
スーパーマンとバットマンはヒーローの対極の存在としてのアイコンです。
だが、アメリカでは、裁判なしに裁く彼等の行動が問題になる。
日本では考えられない。ウルトラマンや仮面ライダー、プリキュアが司法に縛られるか?
アメリカではX-MEN、ウォッチメンに始まり、Mr.インクレジブルに至るまであらゆる場面でヒーローの行動が司法に縛られる。
そんな中、9月から始まった仮面ライダーフォーゼ、設定が甘過ぎるが、それを吹き飛ばす能天気さがすがすがしい。そこには財政破綻も原発もない。
私もまさかここまでネガティブな要素を全く取り入れない番組作りをするとは思わなかったが、右を見ても左を見ても閉塞感漂う世の中で、この仮面ライダーフォーゼは救いです。くだらないけど、今、一週間でこれを見るのが楽しみ。
本当の聖者
オスカー・ワイルド作「サロメ」、一幕による悲劇
この戯曲も大好きな作品の一つで繰り返し読んでます。
これはしびれる。台詞がびしびし心を刺します。
そしてラストの壮絶な世界と終結。
構成もさることながら、脇役の台詞一つとってもしびれます。
冒頭、預言者ヨカナーンを幽閉している兵士達の会話で
「あれは聖者なのだ。それに至って優しい。おれは毎日、食事を運んでやる、あの男はそのたびに礼をいう。」
というのが、あります。この台詞だけでも預言者ヨカナーンの人となりがうかがえるようになっています。
壇上で吼えるエセ宗教家にだまされる人々がいる一方で、この兵士は、学は無くとも、当たり前のことを当たり前にできる人をちゃんと評価しています。
この兵士の視点は現代でも重要なことではないかと思います。
こういう台詞の積み重ねをして劇を構成していけるオスカー・ワイルドは天才だと思います。
ジャッジ・ドレッド
アメコミをいろいろ紹介してきましたが、私が好きなアメコミをもう一つ紹介します。
ジャッジ・ドレッド
急増する犯罪に裁判が追いつかなくなり、ジャッジという者に裁判と判決を刑の執行をできる権限を与え、犯罪に対抗しようとするお話です。
三権分立という近代国家の基本事項を捻じ曲げてジャッジというシステムを導入しなければいけないほど、犯罪がはびこる世界で主人公のジャッジ・ドレッドの暴走気味のジャッジに賭ける熱さは気持ちいい。
ジャッジも人間なので、他のジャッジで権力におぼれてしまう者、腐敗する長官との抗争といった面も描かれます。
ジャッジ・ドレッドはイギリスのコミックなのですが、アメリカに蔓延する「裁判なしで行動するヒーローの活動は、司法国家で是か?」という流れに唯一勝てるコミックだと思います(笑)。
まあ、だけど、その一方、ジャッジ・ドレッドにもいろんなキャラがいすぎて
ジャッジ・アンダーソンという超常現象担当するPSIジャッジと死霊との戦いは、子供の漫画なんですよね。
よく、アメリカ人が日本にきて、日本人は電車の中でサラリーマンも学生も漫画を読んでいるがあれは何なんだ?と言うようですが、アメリカ人の感覚だとそうなるでしょうね。
アメコミは高度な物もあるけど、大半は子供の漫画。それはアメコミファンである私からしても否定しないです。
アメリカで大人がアメコミを電車の中で読んでいたら周りからは白い目で見られるでしょうね。
ただ、日本の漫画は良く出来ていると思います。大人が読むに値する物がいっぱいあると思います。
電車の中で読んでいても恥ずかしいことはないと思います。